理由は、子どもたちが小さいうちは、そばにいる時間をもっと持ちたいと思ったから。
新しい働き方のおかげで、子どもたちと過ごす時間が増え、生活にはゆとりが生まれ、理想に近づいたはずでした。けれど、すべてが思い描いた通りにはいかなかったのです。
「パパがいい」の一言に。
働き方を変える前は、私は完全にシフト制勤務で、時には夜遅くまで働くこともありました。
週の半分は夫が無理やり仕事をいったん切り上げて、慌ただしく迎えに行っていたほどです。
それがこの春から、私が働き方を変えたことから、平日の日中、子どもたちが父親と過ごす時間はぐっと短くなりました。
特にパパが大好きな娘は、一か月も経たないうちに「明日はパパのお迎えがいいなー」と、毎晩のように口にするようになったのです。
そのたびに、私の心に小さな棘が刺さるのを感じました。
「これでよかったのだろうか」
自分の選択を疑い始め、気づけばメンタルはずんずん落ちていきました……。
ご飯を投げる娘、叫ぶ私
そんな不安がピークに達したある夜のことです。
娘が夕飯を食べたくないと泣きながら、お皿に乗った料理を床に投げ捨てました。
「どうしてそんなことするの!!」
普段、怒鳴ることなんてほとんどなかった私が、この日ばかりは感情が抑えられず、泣きじゃくる娘を責めてしまいました。娘の怯えた顔を見て、さらに自己嫌悪に陥ります。
娘を寝かしつけた後、暗いリビングで一人ソファに沈み込みました。「私、母親失格かも」と涙が溢れてきました。
“救いの一言”
そのときでした。普段は口数の多くない夫が、そっと隣に座ったのです。
「ママが忙しかった頃、(娘は)よく“ママがいい”って泣いてたよ。特に朝なんて、ほんとお手上げの日も多くてね」
夫は苦笑いしながら、私が知らなかった事実を教えてくれました。
私は驚きました。
そして夫は私の目を見て、静かにこう言ってくれたのです。
「今の状況ってさ、逆に言うと、ママに十分満たされてるよって証拠なんじゃない?」
その言葉を聞いた瞬間、私の目からボロボロと涙が溢れて止まりませんでした。
娘は、私がたくさんそばにいてくれるからこそ、安心しきって「パパがいい」と言えるのだと。私がそばにいることが当たり前になったから、わがままも言えるようになったのだと。夫の言葉は、沈んでいた私の心に、温かい灯をともしてくれました。
不完全な私でいい、と思えた夜
私が選んだ道は、決して間違いじゃなかったのかもしれない。
完璧な母親じゃなくても、子どもにとって私が必要で、私だからこそ安心できる瞬間がある。夫の言葉のおかげで、そう心から思えるようになりました。
子どもを想うがゆえに苦しくなる夜もある。
迷うこともたくさんある。
時には判断を間違うことだってある。
それでも、母としての私を信じて、また明日を迎えようと思います。
【体験者:30代・筆者、回答時期:2025年7月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:K.Matsubara
15年間、保育士として200組以上の親子と向き合ってきた経験を持つ専業主婦ライター。日々の連絡帳やお便りを通して培った、情景が浮かぶ文章を得意としている。
子育てや保育の現場で見てきたリアルな声、そして自身や友人知人の経験をもとに、同じように悩んだり感じたりする人々に寄り添う記事を執筆中。ママ友との関係や日々の暮らしに関するテーマも得意。読者に共感と小さなヒントを届けられるよう、心を込めて言葉を紡いでいる。