妹から届いた1通のLINE
「母が危篤らしい」と妹からLINEが届いたのは、朝の家事がひと段落したときでした。
九州の実家にはもう何年も帰れていません。いや、帰らせてもらえませんでした。
帰省に否定的な夫と義実家
夫の実家が農業を営んでおり、関東に住んで数十年。
義実家と夫は「家を空けるのはダメ」「親を置いて帰省するのは無責任」と、私が子どもを連れて実家に帰ることをいつも咎めてきました。
年に1度の帰省さえ、義母の介護や夫の顔色に気を遣い、諦めてきたのです。
「帰省は年末にすればいいでしょ」
「そんなにしょっちゅう帰る必要あるの?」
口癖のように言われ続け、それに従っていた私。
夫と義母のまさかの言葉
「母の死に目に会いたい」
そう夫に伝えると、夫はまさかの一言を放ったのです。
「今は無理だよ。お前がいなきゃ誰が家のことやるんだよ……」
その場にいた義母も、眉をひそめて言いました。
「帰ってももう遅いんじゃない? それに今は家のこともあるでしょ」
母が危篤なのに、私の“帰る”すら“相談”なのかと、自分が自分で嫌になりました。夫も義母も、日々の家業や家庭の維持に追われる中で、私が家を離れることへの不安があったのかもしれない。けれど、義母の介護も、夫の世話も、もう限界。
母に会いたい
結婚してからは、嫁いだ家族だからと我慢して、遠慮して、母のもとへも帰れず、気づけば親孝行ひとつできませんでした。
「もう、いい」
翌朝、私は朝食を用意しながら、心の中で決心しました。
今は義実家よりも大事なことがある。
午後、最低限の荷物だけをまとめ、夫にも義母にも何も言わず、家を出ました。
「私、九州に帰ります。母のそばにいたいので」とLINEだけして。
その夜、実家に到着。母の死に目には間に合いませんでした。
私が出した結論
四十九日を終えた後、私は夫に離婚を申し出ました。
何かを怒鳴られることも覚悟していたけれど、夫は何も言わずに黙っていました。
農家が悪いのではなく、家族の優先順位を誤った夫と義実家の姿勢に、私は深く傷ついたのです。
帰れなかった実家、会えなかった母。
私にとってそれは「もう二度と取り返せないもの」となりました。
この経験を通して、私は自分にとって何が本当に大切なのかを深く考えさせられました。今後は、自分の心に正直に、後悔のない人生を送っていきたいと思っています。
【体験者:50代・主婦、回答時期:2025年7月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:Yuki Unagi
フリーペーパーの編集として約10年活躍。出産を機に退職した後、子どもの手が離れたのをきっかけに、在宅webライターとして活動をスタート。自分自身の体験や友人知人へのインタビューを行い、大人の女性向けサイトを中心に、得意とする家族関係のコラムを執筆している。