筆者の話です。
「よく荒れなかったね」と言われるたび、弟の言葉を思い出します。
あのとき、私たちに必要だったのは“勇気”ではなく“静かにやり過ごす力”だったのかも──

「よく荒れなかったね」と言われるたびに

私は両親と弟の四人家族。
共働きの両親のもとで育ち、父は仕事には真面目でしたが、パチンコが日課でした。

平日は仕事帰りに立ち寄るのが常で、休日も朝から開店に合わせて出かけていく。
負ければ不機嫌に帰ってきて、テレビの前に無言で座り込むような人でした。

金遣いも荒く、借金に悩まされた時期もあります。
持っていた農地を売って返済に回したこともあり、近所にも我が家の事情は知られていました。

ただ、静かに過ぎた思春期

あの頃、私たちには自由がほとんどありませんでした。
父は門限にも厳しく、口答えを許さないタイプ。
でも、自分のことには甘い。
母はそんな父に何も言えず、黙って家計を支えていました。

母は毎日、朝から夕方まで働きづめ。
休日は、弟と一緒に農作業の手伝いに行ってバイト代をもらいました。
本当は少しでも体を休めたかったけれど、母の姿を見ると何も言えませんでした。

「よく荒れなかったね」
状況を知っている人から、たまにそんなふうに言われることがあります。

けれどそのたびに思い出すのは、ある日、弟が言ったひと言。
「荒れる勇気がなかっただけだよ」
その言葉に、私は何も返せませんでした。まるで、自分たちの心の奥底を見透かされたようで、胸が締め付けられる思いでした。

ただ、必死だっただけ

中学から高校にかけての多感な時期。
私たち姉弟は、ただ静かに過ごしていました。

反抗する気力なんて、とてもなかった。
ただ、反抗するよりも、静かに耐えることを選ぶしかありませんでした。

だから思うのです。
あの頃の私たちは、偉かったんじゃない。
ただ、荒れるという選択肢さえ持てないほど、必死に日々をやり過ごしていたのだと。

私たちの静かな選択

あのときもし、私たちが荒れていたら。
きっと母は壊れてしまっていたと思う。

家族も、バラバラになっていたかもしれません。
そう思うと、あの頃の私たちが無意識のうちに選んだ、静かに耐え忍ぶという道が、家族の絆をつなぎとめてくれたのだと感じるようになりました。
だから今は、あのときの自分たちを、当時の状況下で家族のために最善を尽くしたと、少しだけ誇りに思っています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年7月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。