思い込みがもたらす差別発言と、その結末とは──。
今回は筆者の知人から聞いた、考えさせられる家族についてのエピソードをご紹介します。
義母の“性別による区別”
5年前に第二子となる娘を出産したとき、義母は明らかに浮かない顔をしていました。
「男の子がよかったのに」
と、聞こえるように言われたときのあの嫌な空気は今でも鮮明に覚えています。
それ以来、義母は第一子である長男にはおもちゃや服を買い与え、行事も積極的に参加。
一方で娘には何かプレゼントすることもなければ、話しかけることすらほとんどありません。
どうやら義母は『男の子は跡継ぎとして必要だが、女の子はどうせ嫁にいってしまうからどうでもいい』と考えていた節があります。
「それは子どもたちにとって悪影響ですし、あまりにも酷い考えです」
「差別しないでください」
私と夫は結託してそう伝え続け、できる限り平等に接してもらえるよう努力してきたのですが、義母の差別思考はなくなりませんでした……。
幼い兄の毅然とした行動
そんななか、娘が生まれて5年後、小学生になった長男が義母に向かってはっきりこう言ったのです。
「妹を大切にしないおばあちゃんなんて、僕は嫌い」
「僕はお兄ちゃんで妹を守りたいから」
どうやら息子なりに義母に冷たい態度をとられ悲しむ妹の姿を見て『何か力になりたい』と考えていたようでした。
娘もまた、祖母の言動に傷つき、次第に距離を置くようになっていました。
時すでに遅し
息子の思わぬ発言に義母はとても驚いていました。
『溺愛する孫に嫌われたくない』とでも思ったのか、慌てて娘に話しかけご機嫌取りをしようとしていたものの、時すでに遅し。
娘は義母の顔を見ると、すぐに私や夫の後ろに隠れて、
「おばあちゃん、嫌い」
と拒絶するようになってしまっていたからです。
平等な愛情の尊さ
今では子どもたちが義実家に行きたがらないため、私たち家族の訪問はぐんと減りました。
義母はご近所さんに、
「最近は誰も来てくれない」
としょんぼり愚痴っているようです。
義母もまた、自らの行動の結果を痛感しているようでした。
この経験は、“孫の心は何よりも平等な愛情に敏感だ”ということを、私たち家族に身をもって学ばせる機会となりました。家族の関係性において、年齢や性別に関わらず、一人ひとりを尊重し、分け隔てなく愛情を注ぐことの大切さを改めて感じています。
【体験者:30代・女性会社員、回答時期:2025年7月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:一瀬あい
元作家志望の専業ライター。小説を志した際に行った女性への取材と執筆活動に魅せられ、現在は女性の人生訓に繋がる記事執筆を専門にする。特に女同士の友情やトラブル、嫁姑問題に関心があり、そのジャンルを中心にltnでヒアリングと執筆を行う。