笑顔の裏のため息
実家の母に、屈託のない笑顔で「来週、また来れる?」と言われた瞬間。私は張り付いたような笑顔を浮かべ、心の中でそっとため息をついていました。
平日は仕事と育児でクタクタ。
せめて週末くらい、自分の時間が欲しい。
でも「高齢の親に会える時間は限られている」という正論が頭をよぎり、「ううん、なんでもない」と本音を飲み込んでしまう。
そして結局「うん、来週また来るね」と答えてしまうのです。
母を想う気持ちに嘘はないけれど、正直しんどいときもある……そんな自分が嫌でした。
つのる自己嫌悪
子どもを連れて実家に行くと、母は本当に嬉しそうにします。
その顔を見ると「やっぱり来てよかった」と思う半面、帰りの電車ではどっと疲れが押し寄せるのです。
昔はなんでもテキパキこなしていた母が、最近は同じ話を繰り返したり、動作がゆっくりになったり。
その姿を見るたび胸が締め付けられ、「お母さん、歳をとったなぁ」と思ってしまう自分に、嫌悪感すら覚えました。
優しくしたいのに、できない瞬間がある。
そんな自分が「冷たい娘」のように思えて、罪悪感はつのるばかりでした。
「しんどい」の裏にあった気持ち
「私、冷たい娘なのかもしれない」――。そんなふうに自分を責める日々。
でもある時、ふと思ったのです。
「どうしてこんなに、しんどいんだろう?」と。
もし、私が母にまったく無関心だったら、こんなに悩んだり、罪悪感を抱いたりはしないはずです。
この「しんどい」という感情は、私が母を大切に想い、ちゃんと向き合おうとしているからこそ生まれるのかもしれない。
そう気づいた瞬間、固くこわばっていた心が、ほんの少し緩んだ気がしました。
完璧じゃなくても、私なりの愛情を
全部を完璧にこなせる、聖人のような娘にならなくてもいい。
疲れていて、心から優しくできない日があったっていい。それは、母への愛情がなくなったわけじゃない。
そう自分に言い聞かせたら、長年感じていた罪悪感から、少しだけ解放されました。
母の言葉にイラっとしてしまう瞬間も、これからきっとあるでしょう。
でも、それでいいんだと思えるようになりました。
無理をして共倒れになるのではなく、私にできる範囲で、私なりのやり方で。
これからも、母を支えていきたいと思っています。
【体験者:30代・女性会社員、回答時期:2025年5月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:藍沢ゆきの
元OL。出産を機に、育休取得の難しさやワーキングマザーの生き辛さに疑問を持ち、問題提起したいとライターに転身。以来恋愛や人間関係に関するコラムをこれまでに1000本以上執筆するフリーライター。日々フィールドワークやリモートインタビューで女性の人生に関する喜怒哀楽を取材。記事にしている。