通りすがりに足が止まった理由
梅雨が明けたある日、買い物の前に駐車場を歩いていたときのことです。ふと目に入った車の中に、小さな子どもが2人、眠っているように見えました。
窓は閉めきられ、エンジン音がしていたので、おそらくエアコンはついていたのでしょう。でも、2人ともぴくりとも動かず、表情もはっきり見えません。どこか、胸がざわつくような違和感がありました。
「眠っているだけだよね」と自分に言い聞かせながら、一度はその場を離れました。けれど、気がかりな思いがぬぐえず、結局また車のそばに戻ってしまったのです。
通報すべきか、迷い続けた時間
しばらく車の近くで様子を見ましたが、大人が戻る気配はありません。5分ほどが過ぎても変化がなく、私はますます不安になりました。
「大げさすぎるかも」「余計なお節介だと思われるかもしれない」
そんな迷いが頭をよぎります。それでも、もし何かあったときに「見なかったことにした」と悔やむのは嫌でした。
私はついに覚悟を決め、店内のスタッフに状況を伝えることに。
通報するという判断が、こんなにも心に重くのしかかるとは思っていませんでした。
母親の表情に、思わず胸が痛んだ
店内放送で呼び出されたのは、30代くらいの女性でした。息を切らせて駆け寄りながら、車内をのぞくなり、顔を曇らせました。
「2人とも寝ちゃって……ほんの少しのつもりだったんです」
そう言って、申し訳なさそうに深く頭を下げました。
スタッフの方は、静かな声でこう伝えていました。
「お気持ちは分かります。ただ、『ちょっとだけ』が、取り返しのつかないことにつながることもあるんです」
責めるわけではなく、心からの声かけだったように思います。
後悔しない選択を信じたい
もしかすると、あの女性は通報されたことを迷惑に感じたかもしれません。けれど、子どもたちが無事でいてくれた–––。
その事実が何よりの救いでした。
あのときの判断が正解だったかは分かりません。でも、「もしも」の後悔より「迷いながらも動いた」方がずっと後味が良い。そう思えるのです。
【体験者:40代・女性主婦、回答時期:2025年6月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:Yumeko.N
元大学職員のコラムニスト。専業主婦として家事と子育てに奮闘。その傍ら、ママ友や同僚からの聞き取り・紹介を中心にインタビューを行う。特に子育てに関する記事、教育機関での経験を通じた子供の成長に関わる親子・家庭環境のテーマを得意とし、同ジャンルのフィールドワークを通じて記事を執筆。