それは一体、どんな出来事だったのでしょうか。
退屈なこの町から抜け出したかった
私が育ったのは、山と川に囲まれた静かな田舎町でした。空気も水もきれいで、自然がいっぱい。でも子どもの私にとっては、それがただ退屈でしかなかったのです。
テレビや雑誌で見る都会のきらびやかな世界に、私はどんどん憧れていきました。
「こんな場所にいたら、人生が終わってしまう──」
そう思ってから、夢中で勉強していました。
絶対にここを出る。都会で生きていく。それが当時の私にとって一番の目標だったのです。
夢にまで見た都会での暮らし
努力の甲斐あって、私は東京の大学に合格しました。憧れ続けた都会での暮らしが、ついに始まったのです。
駅には人があふれ、毎日が目まぐるしく変わっていく。最初はその流れについていくのに必死でしたが、すぐに慣れていきました。
「これが私の求めていた世界だ」
そう思いながら、新しい友人たちと過ごす毎日は刺激にあふれていました。
でも心のどこかでいつも思っていたのです。
「田舎のことなんて、知られたくないな」
そう、小さくつぶやく自分がいました。
戸惑いながら友人たちと帰省
そんなある日、友人たちが「A子の実家にも行ってみたい」と言い出しました。
まさかそんな話になるとは思わず、私は戸惑いました。でも話はどんどん進み、結局みんなで長期休みに帰省することに──。
実家に着くと、母が畑で採れた野菜をふんだんに使った料理をたくさん用意してくれていました。
素朴で、懐かしい料理。でも私は、なんだか恥ずかしくなってしまったのです。
「もっと都会っぽいおしゃれな料理を出してほしかったのに」
そう言いかけた、そのときでした。
本当に恥ずかしかったのは自分だった
「え、これめちゃくちゃ美味しい!」
「野菜が甘い! すごい!」
目を輝かせて料理を頬張り、素直に喜んでくれる友人たち。それはお世辞などではなく、本当に嬉しそうな顔でした。
胸がチクリと痛みました。
「母は最初からわかっていたんだ」
都会の人こそ、こういう素朴な料理に感動することを。
恥ずかしかったのは、母の料理ではなく、それを誇れなかった自分自身だったのです。
遠くに行ったからこそ気づけた地元の良さ。今では自分の育った町を好きだと思えるようになりました。
【体験者:20代・女性、回答時期:2025年6月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:Yumeko.N
元大学職員のコラムニスト。専業主婦として家事と子育てに奮闘。その傍ら、ママ友や同僚からの聞き取り・紹介を中心にインタビューを行う。特に子育てに関する記事、教育機関での経験を通じた子供の成長に関わる親子・家庭環境のテーマを得意とし、同ジャンルのフィールドワークを通じて記事を執筆。