友人Aの話です。
母の通院や買い物を日常的に支えているA。
でも母のひと言が、心に小さなひっかかりを残しました。

日常のサポートは私

Aは兄と二人兄妹。
兄は大学を卒業して以来ずっと首都圏で暮らしており、Aは地元に嫁いでいます。
そのため、母の病院の付き添いや買い物、親戚の行事など、日常のサポートは地元にいるAが自然と引き受けることになりました。

母の用事があるたびに車で送り迎えをし、スケジュールをやりくりしながら付き添っています。
家事の合間を縫って予定を調整するのは決して楽ではありません。
しかし、親が困っているのだからとできることをしてあげたい気持ちで動いていました。

母のひと言にモヤモヤ

とはいえ、どうしても予定が合わず断ることもあります。
そんなときは母がタクシーを利用するのですが、そのたびに決まって母はAにこうぼやくのです。

「兄に遺そうと思っていたお金が減ってしまったわ」
Aは苦笑いしながら聞き流しますが、内心ではなんとも言えない気持ちが積み重なっていきます。

兄には “遺してあげる前提” 私には “やってもらって当然”

兄が帰省するのは年に二、三回ほど。
しかも長期休暇が取れたときだけです。
その際も兄の送迎は結局Aが担当しています。

普段の生活を知らない兄には “遺してあげる前提” で接し、日々動いているAには “やってもらって当然” という母の感覚に、複雑な思いが募ります。

もちろん財産分与が欲しいわけではありません。
ただAにも、親のことを気にせずゆっくり過ごしたい日もあります。
電話をかけて話を聞くだけで済ませられるなら、どれだけ気が楽だろう……
そんな思いがよぎることも少なくありません。

私の存在ってなんだろう

兄は帰省や電話のたびに母に優しく声をかけるので「やっぱり娘よりお兄ちゃんはやさしい」 と母は誇らしげに話してきます。

「帰省のときと電話だけなら、私だって優しくなれるのに」
こどもという立場は同じ。
親だからできることをしてあげたい気持ちはあるのに、兄が帰省したときの特別扱いを見るたび、ふと私の存在ってなんなのだろう……そんな思いが胸をかすめるのです。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年6月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。