筆者の話です。
法要のたびに、母の代わりに手伝いを頼まれる私。
感謝されるたび、なぜか母が「私が段取りしてるのよ」と言わんばかりに振る舞う姿に、複雑な気持ちを抱いてしまいます。

母の黒子として参加

私は母とは別々に暮らしていますが、親戚の法要などがあるたびに、母から「休みを取って来てほしい」と連絡が入ります。

母は膝を悪くしてから、長時間動き回るのが難しくなりました。
若い頃は誰よりも機敏に動いていた母にとって、役に立てない状況は歯がゆいのかもしれません。
そこで私を代理として呼び、裏方の仕事を担わせるようになったのです。

自然と引き受ける手伝い

小さい頃から親戚の行事には顔を出していたので、出席すること自体は特に苦ではありません。
自宅で行う弔事や宴会に人手がいることは理解しています。
顔なじみの施主さん宅に恩返しの気持ちもあり、仕事の休みを調整して参加していました。

そんな私に施主さんは「今日は若い子が動いてくれて助かったよ」と声を掛けてくださいます。
そのたびに母は決まってこう言うのです。
「私が動けないから、代わりに娘を連れてきたの。一人では気が利かないからごめんなさいね。ちゃんと指示してるから、何かあったら私に言ってね」

母の采配アピールに感じるモヤモヤ

まるで「私が段取りしてるから滞りなく進んでいるのよ」と言わんばかりの母の口ぶりに、少し閉口してしまいます。
実際に動いているのは私なのに、まるで母がすべてを仕切っているかのように話が進む。

もちろん小さなことなのかもしれません。
でも、せっかくの私の厚意は置き去りにされ、母の手柄のように映る構図に、なんとも言えない気持ちになるのです。

言えないまま今日も手を動かす

だからといって「それは違う」と言い返す勇気もありません。
苦笑いしながら、母の指示どおりに動き回る時間が続きます。
私だって、小さい頃からお世話になってきた施主さんたちの力になりたくて参加しているのに……。

「なんか違う気がする」
そんな心のツッコミを繰り返しながら、今日も私は黙々と手を動かすのです。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年6月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。