えっ、どちらさまですか?
由美さんは、看護師として夜勤もこなす多忙な日々を送りながら、夫の両親との二世帯同居を続けていました。命を預かる現場に身を置く責任と誇りを胸に、家庭でも全力を尽くす毎日。
家事に育児に仕事にと、身を削るように走り続けていたのは、「家族のために」という思いが根底にあったからです。
ある朝、夜勤を終えてぐったりと帰宅すると、玄関先に見知らぬ靴が揃えて置かれていました。リビングからは誰かの笑い声。そっと扉を開けた由美さんの前に現れたのは、見知らぬ女性でした。
「どうも。あっ、私なんか、いちゃまずかったかしら?」
まるで自分の家のようにくつろぎながら、図々しく笑うその女。
由美さんは思わず口にしました。「えっ、どちらさまですか?」
すると夫が、間髪入れずにこう言ったのです。
「去年の同窓会のあとから、おまえが夜勤の時は世話になってるんだ」
なんと、夜勤中の留守を狙うように、その女性が何度も家に上がり込んでいたことがわかり、怒りよりも呆れと虚しさが押し寄せました。
「はあ? 堂々と不倫ですか! どういうこと?」
目の前の日常が、音を立てて崩れていくようで、思考がまったく追いつきませんでした。
あの人の方が嫁にふさわしい?
キッチンに立つ義母に、由美さんはそっと問いかけました。
「さっきの人、誰なんですか?」
その声には、夫・タカシさん(仮名)の奇行を咎めてくれると信じたい、わずかな期待が込められていました。
しかし、返ってきたのは信じがたいひと言でした。
「ああ、タカシと同級生なのよ。昔からよく知ってるし、気が利くし、家事もできるし」
まるで娘でも褒めるかのように、当然のように語る義母の横顔。
続いた言葉に、由美さんは心の中で「もう無理だ」と思いました。気持ちがすっと引いていくような感覚。言い返す気力さえ湧きませんでした。
「あなた、ちょっと神経質なところあるから。あのくらいサッパリしてる子のほうが合うのよね。うちの嫁には」
“あの人の方が嫁にふさわしい”と、言葉にはしないけれど、本音ははっきりと伝わってきました。
長年かけて築いてきたはずの関係が、たった数秒で崩れ落ちていくような感覚。
義父母にとって、自分はいつまでも“外から来た人間”で、あの女性は“昔から知る身内”。
もう、誰も味方じゃない。そう悟った由美さんは、無言のまま台所を離れました。
私が壊れてしまう前に
理不尽すぎる仕打ちに、由美さんはひどく傷つきながらも、冷静に弁護士に相談しました。
義母の発言、夫の態度、そしてあの不倫相手の出入り。夜勤中の出来事も含め、できる限りの証拠を残していったそうです。
子どもの学校のこともあり、遠くへは行かず、近隣に引っ越す形で離婚を決意。
二世帯住宅という構造上、自分が出ていくしかなかった。
その理不尽さに腹を立てる感情すら、もう残っていませんでした。
家を出たあとは、夜勤のない病棟へ異動しました。
この時期は、すべての生活環境が変わり、本当につらかったそうです。
それでも休日には、カフェをのんびり巡ったり、学生時代の友人と笑い合ったり。
少しずつ、“自分のための時間”が戻ってきました。
選ぶのは、私自身
一方、義実家に“理想の嫁”として迎えられた不倫相手でしたが、義理の妹からの連絡で、由美さんは彼らのその後を知りました。
「生活力がなくて、家事もほとんど続かなかったみたい。お義母さんとも毎日ケンカで…… 結局、半年で出ていって、1年で離婚したの。あれじゃ続かないと思ってた」
声のトーンにはどこか皮肉と憐れみが混ざっていましたが、その奥にあったのは、かつて家族として尽くしてくれた由美さんへの労りでした。
そんなある日、同じ病棟で働く看護師仲間が、ふと耳打ちしてきました。
「別れた旦那のお母さん、今5階の病棟に入院してるらしいよ」
「毎日、由美ちゃんの名前を出して、“やっぱり立派な人だった”って言ってるって」
その話を聞いた由美さんは、小さく笑って一言。
「そう思うのが遅いのよ」
誕生日に届いた元夫からのLINEも、既読をつけずそのまま削除しました。
「必要なのは、“誰かに選ばれること”じゃなく、“自分で自分を選ぶこと”。
それに気づけて、本当によかったです」
最後にそう語った由美さんの言葉には、深く傷つき、それでも前を向いて立ち上がった女性だけが持つ、静かな強さがありました。
過去の傷が癒えるには、やはり時間がかかります。けれど今の彼女の笑顔は、とても穏やかに見えました。
【体験者:40代・看護師、回答時期:2024年11月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:神野まみ
フリーランスのWEBライター・コラムニスト。地域情報誌や女性向けWEBメディアでの執筆経験を活かし、医療・健康、人間関係のコラム、マーケティングなど幅広い分野で活動している。家族やママ友のトラブル経験を原点とし、「誰にも言えない本音を届けたい」という想いで執筆を開始。実体験をもとにしたフィールドワークやヒアリング、SNSや専門家取材、公的機関の情報などを通じて信頼性の高い情報源からリアルな声を集めている。女性向けメディアで連載や寄稿を行い、noteでは実話をもとにしたコラムやストーリーを発信中。