家族の介護が必要になった時、私たちは様々な課題に直面します。どのように介護を進めていくか、誰が中心となって担うのか、経済的な負担はどうするかなど、考えるべきことは山積みです。今回は筆者の友人A子の体験談をお届けします。

義実家の「当然」に唖然

義父の介護が必要になった時、義母からは真っ先に「A子ちゃんがやってくれるでしょ? 長男の嫁なんだから」という声が上がりました。

一瞬、自分の耳を疑いました。
私には仕事もあり、小さな子どももいるので、介護する余裕はありません。

「介護サービスの利用も考えましょう」と提案してみると、義母や夫が「他人に任せるなんてかわいそう」「お金がもったいない」と大反対。

「嫁なら無償でやって当然」という空気が、確かにその場に流れていました。

1人で背負い込む限界

話し合いの場では、どれだけ話し合おうとしても「嫁だから」の一辺倒で何も解決しそうにありませんでした。

このままでは、私が全部を抱え込むことになる……!
危機感を覚え、ついに私は地域の包括支援センターに駆け込みました。
そこで担当のケアマネージャーに相談すると、即座に義家族を呼び出してくれたのです。

ケアマネの“喝”に義家族が沈黙

ケアマネージャーは落ち着いた口調ながらも、力強くこう切り出しました。

「どうして『嫁なら無料でやって当然』と思うんですか? そんな考えは介護をする者としても人としてもおかしいですよ」

義母たちは驚いたように目を見開き、言葉を失っていました。

「適切なサービスを使わず、誰か1人に丸投げするのは無責任です」と、ケアマネは例を交えて説明しました。

「“家族の助け合い”と“個人の限界”を、きちんと区別しなければなりません。そうでなければ、どちらも守れなくなります」

その言葉に、私も深く頷きました。
ようやく、義家族の顔色が変わり、場の空気が一変した瞬間でした。

「やって当然」は、もう終わりにしよう

その後、ケアマネージャーの支援のもと、介護サービスが導入され、訪問ヘルパーなどの利用が始まりました。

私の負担も激減。
あの時声をあげなければ、きっと心も体も壊していたと思います。

介護に限らず、「嫁ならやって当然」「女性だから我慢すべき」という古い価値観は、もう手放していいのではないでしょうか。
私たち1人1人が、自分の限界にきちんと“NO”を言える社会であってほしい……心からそう願っています。

【体験者:40代・女性会社員、回答時期:2025年3月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:藍沢ゆきの
元OL。出産を機に、育休取得の難しさやワーキングマザーの生き辛さに疑問を持ち、問題提起したいとライターに転身。以来恋愛や人間関係に関するコラムをこれまでに1000本以上執筆するフリーライター。日々フィールドワークやリモートインタビューで女性の人生に関する喜怒哀楽を取材。記事にしている。