筆者も例にもれず、公共心のズレと権利意識のぶつかり合いで悩みましたが、ある考え方と行動で、スパッと悩まなくなりました。そのエピソードをご紹介します。
2軒並ぶ新築の家
我が家が暮らす戸建ての家の隣人は、数ヶ月前から住み始めたAさんです。
Aさん宅は、自分たちの土地に新しくごみステーションを自治体に単独で申請し、彼らの玄関からは裏側に当たる我が家の門塀の真横にそれを置きました。
収集時にごみ袋が破れたり、カラスにつつかれたりした際には、ごみの散乱にAさんは気づきづらく、我が家の表札前にごみが散らかっていても長時間ほったらかしなことが目立ちます。
いつも散乱したごみがほったらかし
一度、「ごみが散らかっていますよ」とチャイムを押して伝えたものの、イラついたように「……はい」と言うだけで、すぐに出てきて掃除することもありませんでした。
仕方なく、私はほうきとちりとりでかき集めましたが、なぜ隣人宅の生ごみを自分の家で預からねばならないのかと、強い憤りを感じていました。
あるときは、彼らが庭の落ち葉をブロアーという強力な風で飛ばす機械で庭の外に追い出すように一掃し、後片付けをしないでいるのを目撃してしまいました。
そんな自分たちさえよければそれでよい、という態度にぎょっとしてしまったのです。
変わらない他人にイライラするも
傍若無人なAさん夫婦の振る舞いに、「迷惑な人たちだ!」と行き場のない怒りを感じ、引っ越しができないことを悲観していました。
しかし、私はあるときから、ごみの散乱に気づいたら、すぐにほうきとちりとりを持って行って事務的に片づけるようになっていったのです。
精神的に健全でいられる方法
いつからか、「誰かがやらなければいけないのなら、私がやっても良いか」という考え方に切り替わっていったからです。
また、「誰のごみだろうと、周りの人たちが気持ちよく過ごすためには、ごみは率先して拾おう」ということを子どもたちに見せる良い機会だと思うようになったのです。
さらに打算的ではありますが、習慣になってくると、なんとなく「徳も積めているのでは」という思いも出てきて、ますます苦ではなくなっていきました。
我が子たちも、以前は嫌がっていましたが、学校でも率先してごみ拾いをするようになったようで、隣人のごみ問題から、公共心というものを学ぶ良い機会だったように思います。
【体験者:40代・筆者、回答時期:2025年5月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:長橋知子
38歳で未経験からWEB広告制作の在宅ワークに挑戦し、セールスライター・WEBライターとして活動をスタート。読者に寄り添うライティングを大切にしている。特に、人間関係や育児、地域活動、女性の生き方に関するテーマが得意。また、noteで赤裸々エッセイを発信し、Kindle書籍も出版。「どんな自分でも生きていける」社会の実現を目指して奮闘中。