母の口紅
母はよく「毒だから」と言って、私が楽しみにしていた食べ物の“最初のひと口”を当然のように奪っていきました。
ソフトクリームもジュースも「わあい!」と喜んだその瞬間、喜びもつかの間、うれしさがフッと消えてしまうのです。
「ダメ!」という間もなく、私の“うれしい”は、すぐに消えてしまっていました。
私は“最初のひと口”を自分のものとして味わった記憶が、まるでないのです。
母は決まってこう言いました。
「全部食べたら、子どもには毒だから! ひと口ちょうだい」
良いか悪いかを聞かれることもなく、私がまだ手をつけていない、いちばんおいしい“最初のひと口”を、口紅のべったりついた口で、ガバッと持っていく。
それが、我が家では当たり前のことでした。
最初の一口
ただ“ひと口”を取られただけではなく、食べる楽しみや買ってもらえた嬉しさごと、先に持っていかれていた思い出。大人になった今でも、思い出すと胸がざわつくのです。
うれしかったはずの瞬間が、いつも途中で終わってしまう。
私は“最初のひと口”を味わう機会を、自立するまで知らずにいました。
大人になってからのことです。
友人との旅行先でソフトクリームを買って、何気なくひと口食べた瞬間――。とびぬけておいしくて驚きました。
「なにこれ、めちゃくちゃおいしい!」
隣の友人が吹き出して「大げさすぎ!」と笑いましたが、私にはその理由がはっきりしていました。
たぶん、人生で初めて“最初のひと口”をちゃんと自分で味わったからです。
同じような感覚は、仲間との飲み会でもありました。
乾杯のあとに口をつけた、ビールの“最初のひと口”。泡ごと喉に流れたときの、あの爽快さとしみわたる感じに、思わず驚いてしまいました。
「……なんだこのおいしさは!」
その瞬間、ずっと取り上げられていた“最初のひと口”を取り戻した気がしました。
奪われた思い出の“ひと口”を取り返す
私は母になった今、子どもにこう言うようにしています。
「残してもいいから、一番おいしいところ全部食べちゃいな!」
そしてもし残ったら「えっ、ママにくれるの? ありがとう」と笑顔で受け取ります。
自分が奪われてきた“最初のひと口”を、今はわが子に渡している。
それが、私なりのリベンジの形なのです。
けれど母は、変わりません。
今度は孫に向かって「毒だからひと口ちょうだい」と言いながら、息子がまだ手をつけていないものに手を伸ばすのです。
息子が「やめて」と言うと、「ケチねえ」と笑う母。
私はその様子にイラッとして、ついつい反撃。
「そんなことしてたら、嫌われちゃうよ。やめなよ」
すると母は、「ちょっとぐらいいいじゃない」と言って笑っているのです。
"ひと口おばけ"は今も現れる
私は、絶対に真似しない、もう奪わせない! 心の中でそう繰り返しています。
母は、今でも“最初のひと口”を奪いに来ます。
最初のひと口のおいしさを知らないのだろうか? それとも、それを知っていて、わざと奪いに来ているのだろうか? 私には、その感覚がどうにも理解できません。
「ひと口ちょうだい」と聞こえるたび、小さな手に持つ、赤い口紅のあとがついたソフトクリームを思い出して、背筋がうっすら寒くなるのは今も変わらず。
私はひそかに思っています。母は“ひと口おばけ”に取りつかれているのだと。
そして、心から「子どもには、おいしいところを真っ先にあげたい」という気持ちを持っています。
それが、母と違う道を選んだ私が決めた、自分なりの子育てです。
【体験者:40代・筆者、回答時期:2025年5月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:神野まみ
フリーランスのWEBライター・コラムニスト。地域情報誌や女性向けWEBメディアでの執筆経験を活かし、医療・健康、人間関係のコラム、マーケティングなど幅広い分野で活動している。家族やママ友のトラブル経験を原点とし、「誰にも言えない本音を届けたい」という想いで執筆を開始。実体験をもとにしたフィールドワークやヒアリング、SNSや専門家取材、公的機関の情報などを通じて信頼性の高い情報源からリアルな声を集めている。女性向けメディアで連載や寄稿を行い、noteでは実話をもとにしたコラムやストーリーを発信中。