赤ちゃんのお世話
出産を終えたあとの数週間は、心も体もとても繊細です。特に初めての育児では、不安と疲れの波に、何度も押し流されるような感覚になります。M子さんも、まさにその渦中にいました。
体調はなかなか戻らず、夜中の授乳に起こされては、またうとうとするだけ。赤ちゃんが寝ついた合間を縫って、自分も少し横になる——そんな毎日の繰り返しでした。
そんなある日、玄関のチャイムが鳴ります。
「手伝いに来たのよ」
義母のその言葉に、M子さんは思わず表情をゆるめました。
指図と催促
しかしその訪問は、彼女の想像していた“助け”とは、少し違っていました。
義母はソファに座ったまま、テレビをつけると何気なく言いました。
「テレビのまわり、ホコリっぽいわね。サッと拭いたら?」
M子さんは娘をそっとベッドに寝かせ、雑巾を取りに行こうとしました。そのとき、小さな泣き声が響きました。
「オギャー、オギャー」
「あらあら、泣いちゃってるわよ~」と義母は笑いながら言いましたが、抱き上げる気配はありません。
「新聞、まとめといたほうがいいわよ。明日、回収日でしょ?」
「お腹すいたわね。なにかある?」
M子さんは雑巾を持ったまま、キッチンへ向かいました。体が重く、気持ちも沈んでいきます。
すると、また背中に声が飛んできました。
「お風呂掃除もしといたら? 菌が心配よ」
その場で足が止まりました。
「それ、今、私がやるの?」声には出しませんでしたが、心の中で叫んでいました。
ついにこぼれた、心の底からのひと言
もう限界でした。
赤ちゃんの世話だけで精一杯なのに、休む間もなく次の指示が飛んでくる。体はだるく、気持ちにも余裕がなくなっていました。
思い切って口を開きました。
「今は休ませてください。後でお義母さん、お手伝いお願いできますか?」
それは精いっぱいのお願いでした。ところが、義母は少し眉をひそめて言いました。
「自分の家でしょ?」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中がふっと静かになりました。何かがぷつんと切れたような感覚。
——この人は、いったい何をしに来たんだろう。
孫を見に来たのか。暇つぶしなのか。手伝いに来たって言ったのに、私はなぜこんなに追い詰められているんだろう。
日中は我慢しました。泣きたい気持ちを飲み込んで、ただ淡々と過ごしました。
でもその晩、布団に入ったとたん、悔しさがこみ上げてきました。涙が止まりませんでした。
夫に打ち明けても、「悪気はないんだよ。心配で来てくれてるんだから」と軽く受け流されました。
何がつらいのか、誰にも伝わっていない。誰にも届かない想いが、自分をじわじわと壊していく気がしました。
翌朝、M子さんは意を決して義母に電話をかけました。
「しばらく来なくても大丈夫です」
その一言は、自分と赤ちゃんを守るための、精一杯の決断でした。
自分の心を守るという選択
それ以来、義母との関係はぎこちないまま。
言わなければよかったのかもしれない。そう思ったこともあったそうです。
でも、あのとき黙っていたら、きっともっと自分を追い込んでいた——そうM子さんは語ってくれました。
子どもを守るには、まず自分を守ること。
それは、初めての育児の中で気づいた大切な学びだったのかもしれません。
【体験者:30代・会社員、回答時期:2023年5月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:神野まみ
フリーランスのWEBライター・コラムニスト。地域情報誌や女性向けWEBメディアでの執筆経験を活かし、医療・健康、人間関係のコラム、マーケティングなど幅広い分野で活動している。家族やママ友のトラブル経験を原点とし、「誰にも言えない本音を届けたい」という想いで執筆を開始。実体験をもとにしたフィールドワークやヒアリング、SNSや専門家取材、公的機関の情報などを通じて信頼性の高い情報源からリアルな声を集めている。女性向けメディアで連載や寄稿を行い、noteでは実話をもとにしたコラムやストーリーを発信中。