新婚生活のはじまり
ハナさんが夫との結婚を決めた時、不安よりも安心のほうが勝っていました。婚約のあいさつの席で、義母が夫の襟を直しながら言ったのです。
「うちの子は、理解力がすごいのよ~」
その言葉に、ハナさんはホッとしました。気が利く人なんだなと思ったのです。
襟を直す義母のしぐさにも、特に何も感じていませんでした。
でも、結婚してから気づいたんです。夫はとんでもないマザコン、義母は過干渉ママだったのです。
義母は何にでも口を出し、夫は当然のように従う。
正直、迷惑でした。うんざりすることも多かった。
でも2人は、それが普通だと思っているようでした。
義母はよく、「うちの子が一番」「私が一番わかってる」と言いました。誰に対しても同じ調子です。ハナさんは次第に、その言葉を真に受けられなくなっていきました。
それでも、「結婚すれば、2人の生活が始まる」と信じていたのです。
ところが、新居選びも義母と夫の意向で進み、義実家の近くにマンションを購入することになりました。気づけば、ハナさんの意見は置いてきぼりでした。
さらに、まだ引っ越し前なのに義母は当然のように言ってきました。
「壁紙は私の好きな、この柄で決まりよ。明るい方が気分も上がるでしょ? カーテンも合わせて選んでおいたからね」
ハナさんは、せめて意見のひとつでも聞いてほしくて、「こっちのほうが……」と小さな声で口を開きました。
でも、スタートの時点で嫁として失敗はできないと思い、言葉を飲み込んだのです。
ここは私の家なのに!
そう叫びたい気持ちを、ぐっとこらえました。
気づけば、新婚の家は、義母色に染まりはじめていました。
そして迎えた引っ越し当日。
義母は日当たりのいい部屋に、しれっとスーツケースを運び入れたのです。
「私の部屋はここでいいわよね?」
夫は平然と続けました。「母さんがいれば助かるしね」
ハナさんは、心の中でつぶやきました。ああ、こりゃダメだ。
頭の先から、つま先まで
子どもが生まれてから、義母の出入りはさらに増えました。
「子育てが大変でしょ」と言いながら、泊まり込みが当たり前に。
帰ったと思えば、翌朝またやって来ます。
「ほら、髪の毛セットするわよ」そう言って、夫の髪を丁寧に整える義母の姿に、思わず心の中でツッコミを入れてしまいました。
——子育てって、そっち(夫)のことでしたか。
義母は、お昼になれば「ランチは天ぷらがいいわ」などとハナさんに注文し、夜になれば、洗濯かごに自分の汚れ物を無言で突っ込む。自宅の様に冷蔵庫を開けて食材を見て、ソファでテレビ。
それはもう毎日の様に繰り返され、まるで同居のようでした。
夫はどんな時でも「母さんがいてくれて助かるな」と笑ってばかりです。
ハナさんが夫に話しかけるたびに、必ず返ってくるのは「母さんはどう思う?」
子どもの習い事について聞いても、「母さんがいいならOKだよ」と。
何を話しても、義母フィルターを通過。それがこの家の当たり前になっていました。
ある日、ソファでくつろぐ夫が足を差し出しました。
「母さん、爪お願い」
義母は無言で爪切りを手に取り、いつものように切り始めます。
ハナさんは、キッチンからその様子を見つめていました。
金曜の夜は、義母が泊まるのが決まりのようになっていました。
ひざ掛けを2人で分け合い、ワインを片手に映画を観ています。
「今日はね、カベルネのいいのがあるのよ~」
義母が笑いながら、夫のグラスに注ぎました。
夫婦の時間のはずなのに、なんで母親がそこにいるの。そこ、私の席なんだけど?!
ハナさんは、思わず口から出かかった、声にならない思いをグッとこらえて飲み込みました。
もう何を言っても、この2人は変わらないと感じていたのです。ハナさんは、幾度となく溜息をついて週末をむかえていました。
思春期よ、ありがとう
結局、何年たっても夫と義母は変わりませんでした。
共依存のような関係は、続いたまま。
ハナさんはその構図を逆手に取り、夫の世話は義母に任せて、子どもたちの成長に集中してきました。そうするしかなかったのです。