田舎の夜
「さて、そろそろ片付けて、お風呂ね」
義母がそう言って、キッチンの片付けに手を伸ばしました。
夕食を終えた後、それぞれが自分の時間を過ごしていました。夫はリビングでスマホ。裕子さんは朝食の準備が気になり、冷蔵庫を開けて中を確認していました。
「裕子ちゃん、たまには先に入っちゃえば?」
「お義母さん、ありがとうございます。私、これだけやってから入るので、お先にどうぞ」
そう言って、メモを片手に納豆や野菜の在庫を確認していた裕子さん。リビングからは夫がスマホをいじる音と子供たちの声だけが聞こえる。
少しだけ慌ただしいけれど、特別なことのない、いつもの帰省の夜でした。
風呂場の小窓に浮かび上がった“人影”
しばらくして、リビングの電話が鳴りました。
「ちょっと、親父? あれ? いない。ごめん! 電話取ってもらえる?」
夫に言われて受話器を取った裕子さん。電話の主は、裏手に住むご近所の奥さんでした。
「今、お宅に不審者がいるかもしれないの! 警察、呼んだほうがいい?」
その声を聞いた瞬間、裕子さんの背中に冷たいものが走ります。
なにそれ、不審者? とにかく、急いで風呂場へ向かいました。
「お義母さん! 今ちょっといいですか?」
「どうしたの? 慌てて、なに?!」
裕子さんは、浴室のドアをほんの少しだけ開けて、顔を近づけながら小声で伝えました。
「裏の奥さんから電話がきて……誰か、のぞいてるって」
義母の動きが止まり、湯気の向こうにぴんと張りつめた空気が流れました。
湯気の向こうに
「裕子ちゃん……窓の方、見て」
浴室の中から、義母の小さな声が聞こえました。声がかすかに震えていて、怖くて自分では確認できない様子です。
裕子さんは、ごくりと唾をのみ、恐る恐る小窓に目を向けました。
湯気の奥。ガラス越しに、フードをかぶった黒い人影が――。
誰かがそこに立っているのは間違いありません。ぼんやりとした輪郭が浮かび上がり、じっとこちらを見ているようにも感じます。
「いる。ほんとに、誰かいる」
裕子さんがそうつぶやいたそのとき、義母が意を決したように小窓をガラリと開けました。
「ちょっと! なにやってんのよ!!」
その一喝に、人影がびくっと反応。湯気のせいで顔までは見えませんでしたが、相手は驚いたようにその場を離れていったようでした。
「まったく、呆れたわ!」
「ありがとう裕子ちゃん。どっか行ったみたい」
義母の声には、怒りと安堵が入り混じっていました。
黒いフードの男
電話を一旦切ったあと、裏手のご近所さんが心配そうに玄関までやってきていました。ちょうど裕子さんが「たしかに誰かいた」と夫に報告していたところに、ぬっと現れたのが――義父でした。
「あ、親父。どこ行ってたの?」
「ちょっと一服してた」
義父はぼそっと言って、靴を脱ぎ始めました。
その直後、髪を濡らしたままパジャマ姿の義母が玄関に現れました。ご近所さんと目が合った瞬間、ひと呼吸おいて言います。
「不審者はうちの人で、ご心配かけてすみません……」
その一言で、ご近所さんも家族もズコーッ。
ご近所さんの話では、たまたま犬の散歩中に、真っ暗な裏庭を懐中電灯片手にフード姿でウロウロする黒い人影を見かけ、あわてて電話をかけたのだそうです。
その騒ぎを横目に、義父は何事もなかったかのように平然としていて、なにひとつ悪びれる様子もありません。もう呆れて、誰もツッコむ気力も残っていませんでした。
しかも、義父は昔から“女好きの浮気者”で有名です。
あまりにも義父らしすぎる結末でした。
そして――窓の向こうが義母だったこと。
それが義父にとっては、ちょっぴり残念だったのかもしれませんね。
結局、「なにやってんだか」と笑うしかなかった出来事だったそうです。
【体験者:40代・女性主婦、回答時期:2023年9月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:神野まみ
フリーランスのWEBライター・コラムニスト。地域情報誌や女性向けWEBメディアでの執筆経験を活かし、医療・健康、人間関係のコラム、マーケティングなど幅広い分野で活動している。家族やママ友のトラブル経験を原点とし、「誰にも言えない本音を届けたい」という想いで執筆を開始。実体験をもとにしたフィールドワークやヒアリング、SNSや専門家取材、公的機関の情報などを通じて信頼性の高い情報源からリアルな声を集めている。女性向けメディアで連載や寄稿を行い、noteでは実話をもとにしたコラムやストーリーを発信中。