父の他界
私の父は生前、塾の先生をしていました。
病気でどんなに体調が悪くなっても、生徒1人1人と真剣に向き合い、教えることをやめない父を、私は心から尊敬していました。
しかし最後まで気丈に振舞っていた父も、闘病の末、静かに旅立っていきました。
父の葬儀でのことです。
母方の親戚であるAさんという女性が、何気なくこんなことを言っているのが耳に入りました。
「死ぬ間際まで働かされて、かわいそうにねぇ」
「働きすぎて体調を崩したんじゃない?」
「父は“働かされていた”んじゃありません。自分の意志で、生徒たちのために熱意を持って教壇に立ち続けていたんです!」……そう言い返したかったけれど、情けないことに咄嗟に言葉が出てきませんでした。
生徒たちの弔問
そんなとき、葬儀会場に何人もの若者が現れました。父の教え子たちです。
みんな涙ぐみながら、口々に父への感謝を伝えてくれました。
「先生のおかげで受験を乗り越えられたんです」
「先生の最後の授業、今でも覚えています」
「先生は僕の恩人です」
1人1人の言葉が、私の心にじんわりと染み込んできました。
父は、たしかに生徒たちの心の中に生きているんだ……そう実感した瞬間でした。
そそくさと退散
そんな様子を、少し離れたところから見ていたAさんは、バツが悪そうに視線をそらしながら「じゃ、私そろそろ……」としどろもどろ。
親戚たちにもきちんと挨拶することもなく、そそくさと去っていきました。
Aさんの言葉は、今でも心に引っかかっています。
しかし同時に、父がどれだけ多くの人に影響を与えていたかを気づかせてくれたような気もしています。
父が遺してくれたもの
あたたかな記憶や、父の励ましの言葉は、これからも父の生徒たちの人生を支えていくことでしょう。
それが、父が遺していった、何より大きな財産だと思っています。
もちろん私にとっても、大切な宝物です。
【体験者:40代・女性会社員、回答時期:2025年3月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:藍沢ゆきの
元OL。出産を機に、育休取得の難しさやワーキングマザーの生き辛さに疑問を持ち、問題提起したいとライターに転身。以来恋愛や人間関係に関するコラムをこれまでに1000本以上執筆するフリーライター。日々フィールドワークやリモートインタビューで女性の人生に関する喜怒哀楽を取材。記事にしている。