筆者の体験談です。何かと弟と比べられる日々のなかで、魚を食べることが苦手になってしまった子ども時代の記憶。大人になった今でも、食卓で感じる “ざわざわ” の正体とは──。

魚が苦手な理由

両親と弟の4人家族で育った私。
実家は海の近くにあり、魚料理がよく食卓に上りました。
けれど、私は昔から魚をきれいに食べるのが苦手だったのです。
焼き魚でも煮魚でも、うまく骨から身をはがすことができず、ぐちゃっとした見た目になってしまいます。

一方、弟はその点がとても上手で、食べ終えた魚はまるで見本のよう。
骨だけが残り、猫もよりつかないと言われるほどでした。

母に言われた言葉

そんな弟を見て、母はよく
「見てごらんなさい。A(弟)はこんなにきれいに食べるのに……」
と私に言います。
弟とは2歳違いで、年も近く、何かと比較されやすい存在。
私だって頑張っていたのです。

うまく食べようと何度も挑戦しました。
でも、どうしてもきれいには食べられず、途中で心が折れてしまいました。
ぐちゃっとした見た目と母の一言に食欲は減退。
1/4だけとりあえず食べて、家族に譲ることが多くなっていきました。

いつしか「また比べられるかもしれない」 と思うだけで、魚を見るのも憂うつに。
味は嫌いじゃないのに、箸が進まなくなっていったのです。

大人になっても残る感情

社会人になった今でも、魚料理を前にすると、胸の奥がざわざわすることがあります。

魚は健康にもいいし、カロリーも控えめ。
美容やダイエットにも役立つとわかっています。
だからこそ、本当はもっと積極的に取り入れたいと思ってはいるのです。

けれど「上手に食べなきゃ」 とつい力んでしまい、味そのものを楽しめないのです。
友人との食事でも「魚の食べるのが苦手なんだな」 と思われたくなくて、魚料理を避けることに。
食事を楽しめない自分に、ふと悲しさがこみ上げてきます。

比べられると、嫌いになる

姉弟なので比べられるのは仕方ない……そう思いたいです。
でも、比べられる側の心には「自分はダメなんだ」 という思いが残ります。
そしてその記憶は、大人になってもふとした瞬間に蘇るものなのです。

おかあさん、お魚がおいしいのは知っているし、本当は私もちゃんと食べたい。
でも、比べられると、こうやって “嫌い” になっちゃうんだよ。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年4月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。