ネットスーパーや置き配を利用している方は多いのではないでしょうか。重たい荷物も玄関先まで運んでもらえるし、非対面で受け取れるのも今の暮らしにはありがたい。忙しい日々のなかで、頼れる存在です。
私の知人・香奈さん(仮名)はある日、置き配がきっかけで予想外の時間を過ごすことになりました。しかし、その出来事が彼女の人生を大きく動かしたのです。

玄関ドアの向こうに──

ネットスーパーの置き配は、香奈さんにとって生活の一部になっていました。
人と顔を合わせずに済むのも、自宅で働く彼女には心地よかったのです。

その日も、荷物の到着に気づいて玄関へ向かいました。しかし
「あれ? 開かない」
ガタガタと玄関ドアを押して、やっとできた隙間から外を覗くと、お米やペットボトル、根菜の詰め合わせがぎっしりと積まれているのが見えました。

「えっ! うそでしょ」小さな声が漏れました。
頭が真っ白になりながらも、とにかくネットスーパーのサポートを探そうとスマホを開きました。
けれど、出てくるのは「よくあるご質問です」や「チャットボットがご案内します」といった定型文の案内ばかり。肝心の電話番号は、どこにも見当たりません。

誰かに頼れたらよかったのですが、香奈さんにはそんな相手がいなかったのです。
家族も友人も遠方に住んでいて、人付き合いはずっと控えめにしてきました。
「このまま誰にも気づかれなかったら……」
そんな不安が、ふと胸をよぎりました。

焦る気持ちに、広がる不安

「えっ、このままじゃ出られないじゃん」
玄関の前で香奈さんは、じわりと手に汗がにじむのを感じていました。
扉をガタガタ押したり、隙間に手を差し込んでみたり。けれど、どうしても開きません。

焦った香奈さんは再びスマホを開き、ネットスーパーのサポートを探しますが、やはり連絡先は一向に見つかりません。

「どうしよう……」小さくつぶやいた声を、足元にいた小さな愛犬だけが聞いていました。

日頃から物静かな性格の香奈さんは、「助けてー!」と外に向かって大声を出すなんて、どうしてもできなかったのです。
いよいよどうすることもできず、香奈さんはしばらく玄関でドアと格闘していました。

あっ、だれか……

しばらくドアと格闘したあと、香奈さんは静かに座り込んでしまいました。
汗ばんだ手を見つめながら、ふと耳を澄ますと、廊下の奥からかすかな足音の気配が。

「あっ、だれか助けて。行かないで……言う? 言わない? 今しかないよね」
心の中で何度もつぶやきながら、香奈さんはガタガタと勢いよく扉を揺らしました。
「気づいて、お願い!」そんな思いをこめて。

すると、一瞬足音が止まり、「ん?」という小さな声が聞こえました。
香奈さんの胸がドクンと跳ねます。
思わず、震える声でつぶやきました。
「すみません、どなたか、いらっしゃいますか……?」

ほんのかすかな声でした。
でも、「どうしました?!」と元気な声が返ってきました。

顔を上げると、ドアの小さな隙間に、見慣れた配送員の姿がありました。
状況をすぐに察した彼は荷物を手際よくどかし、「中まで運びますね」と段ボールを玄関へ丁寧に運び入れてくれました。

香奈さんは、安心感と恥ずかしさで、ただ「ありがとうございます」と小さく声をかけました。
けれど彼は、ちゃんとお礼をする間もなく、笑顔でその場を去っていったのです。

「え、ちょっと待って」
戸惑いながらも、彼の後ろ姿から目が離せませんでした。

人生の歯車が動き出すとき

ツイていない。
よりによって、自宅に閉じ込められるなんて──。
その頃の香奈さんは、気づけば結婚のタイミングを逃し、すっかり婚活もお休み中で、どこかパッとしない毎日を過ごしていました。

でも、人生は思いがけないところで、ふいに歯車が動き出すのかもしれません。

数日後、香奈さんは犬の散歩の帰り道で、あの配送員さんと偶然ばったり出会いました。
胸が「ドキン」と鳴り、足がふっと止まります。
あの日のことが、どうしても頭から離れなかったのです。優しい声、爽やかな笑顔──あの瞬間から。

迷いながらも、小さく深呼吸をして、香奈さんは声をかけました。
「こんにちは、あの」
一瞬、彼も驚いたような表情を見せました。
「先日は本当に助かりました。よかったら、お礼をさせてください」

すると彼は、少し照れたように笑って「勤務中なので」と、メモ用紙にLINEのIDを書いて差し出してくれました。

それがきっかけで、ふたりは少しずつ連絡を取り合うようになり、会うたびに距離が縮まっていきました。

今では、週末の買い物のあと、ペットボトルの箱をキッチンまで運んでくれるのが、その彼です。そう、あの日、玄関の向こうで出会った配送員さんが──いまでは、香奈さんの夫になりました。

「人生って、ほんとうに何が起こるかわからないですね」
香奈さんは照れくさそうに笑いながら、そう言っていました。

【体験者:40代・フリーランス、回答時期:2025年1月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:神野まみ
フリーランスのWEBライター・コラムニスト。地域情報誌や女性向けWEBメディアでの執筆経験を活かし、医療・健康、人間関係のコラム、マーケティングなど幅広い分野で活動している。家族やママ友のトラブル経験を原点とし、「誰にも言えない本音を届けたい」という想いで執筆を開始。実体験をもとにしたフィールドワークやヒアリング、SNSや専門家取材、公的機関の情報などを通じて信頼性の高い情報源からリアルな声を集めている。女性向けメディアで連載や寄稿を行い、noteでは実話をもとにしたコラムやストーリーを発信中。