家族だからこそ、言葉にしなくても伝わると思ってしまう……でも、時にはその“沈黙”が誤解を生むこともあるようです。今回は筆者の友人が、長い間すれ違っていた両親との関係を見つめ直したエピソードをご紹介します。

兄たちとの違い

私は3人兄妹の末っ子で、上に2人の兄がいます。
兄たちは地元の大学へ進学し、家業を継ぐ道を歩むことが当然とされていました。

しかし、私が進路の相談をした時、両親は「大学はどこでもいい」とだけ言いました。
――「私は必要とされていないんだ」。そんな思いが、当時の私を支配していきました。
期待された兄たちとの扱いの違いに、「どうせ私は女の子だから、実家に必要ないと思われているんだ」と、悲しい気持ちになったものです。

地元を離れて東京へ

「だったら、勝手にさせてもらう!」私は東京の大学を選び、そのまま就職も東京で。
地元との距離は、物理的にも心の上でもどんどん開いていきました。

数年後、私は東京で出会った男性と結婚することになりました。

思いがけない言葉に驚き

結婚の報告を兼ねて久しぶりに実家に帰省すると、両親は私の結婚を心から祝福してくれました。
そしてその時、父の口から出た言葉に、私は息を呑みました。

「A子には、田舎のしがらみで苦労してほしくなかったんだよ。都会で、自分の人生を生きてほしかった」
母も、「本当は東京に行ってしまうのがすごく寂しかった。でも、A子のやりたいことを応援したかったの」と、涙ながらに打ち明けてくれました。

真実は予想外のものだった

実は、私は両親にとって待望の女の子。何よりも大切に思っていたからこそ、自由にさせたかった――それが「大学はどこでもいい」という言葉の本当の意味だったのです。
私が勝手に「どうでもいい」と受け取ってしまったその一言には、深い深い思いやりが込められていたのでした。

まとめ

両親は、私のことがどうでもよかったのではなく、私が自由に羽ばたけるように考えてくれていました。
10年近く時を経て知った、両親の本当の気持ち。
私は自分の誤解と反発を悔やみ、改めて両親の愛情の深さに気づきました。結婚を機に、ようやく本当の意味で両親との絆を取り戻すことができたのです。

【体験者:20代・女性会社員、回答時期:2025年3月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:藍沢ゆきの
元OL。出産を機に、育休取得の難しさやワーキングマザーの生き辛さに疑問を持ち、問題提起したいとライターに転身。以来恋愛や人間関係に関するコラムをこれまでに1000本以上執筆するフリーライター。日々フィールドワークやリモートインタビューで女性の人生に関する喜怒哀楽を取材。記事にしている。