近しい人の訃報は、なかなか受け入れがたいものです。それぞれに故人との関係値があり、思うことや思い出は異なって当然です。しかし、他の人が故人を偲ぶ機会を奪ってしまうのはナンセンスなのではないでしょうか? 今回は筆者が祖母の最期に立ち会ったときのエピソードをご紹介します。
叔母の告白
叔母が私を連れてきたのは近くのカフェ。
そこで叔母は「私ね、お母さんがずっと大っ嫌いだったの。だからいま少しも悲しくなくて、やっと解放されるってホッとしているのよね」と打ち明けたのです。
私は返す言葉が思い浮かばず、ただ黙って話を聞いていました。
祖母の最期の日
叔母が私をカフェに連れ出した日の晩、祖母は息を引き取りました。
叔母が私を連れ出し告白したのが、この日でなければここまで思わなかったのかもしれません。
しかし、私からしてみれば
「祖母が亡くなる最期の日に、病室にいる私を引きはがしてまで外へ連れ出さなければならなかったのか?」
「もう意識もなく会話もできない、こんなタイミングで私に伝えなければならないことだったのか?」
と疑問が残っています。
叔母が祖母を嫌っていたのは事実なのかもしれません。
ただ、それを私にあえて伝える必要があったのかは、今でも理解できていないのです。
【体験者:30代・女性自営業、回答時期:2025年4月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:Emi.A
夜の世界での接客業を経て、会社員に転身。その経験を生かして、男女の人間関係を中心にコラムを執筆。結婚と出産の際に会社員として苦労した経験を経て、働く母親世代の思いにも寄り添うべく、執筆業専門に転身。現在は、男女関係、ワーキングマザーのリアルを描くライティングを行う。