末期がん
祖母はがんを患い闘病中です。
しかし祖母ががんを患ったのは今回が初めてではなく、転移しているということもあって、いまや末期がんと診断されている状況。
少し前までは歩くことはできなくとも、意識もあり会話ができていたのですが、いまでは会話はおろか、食べることも起きることもできない状態になっています。
会話はできませんが、なるべくそばにいようと思い、私はできる限り祖母の病室へと通いました。
祖母がもう長くないことは一目瞭然で、病室には連日入れ替わり立ち替わり親戚がお見舞いにやってきました。
「あら? 来てたの」
この日も、私は祖母の病室へ。
祖母から返事はありませんが「おはよう!」「天気がいいよ~」と声かけをしていたのですが、そのとき病室のドアが開きました。
そこにいたのは叔母。
叔母は「あら? 来てたの。ちょっと付き合ってくれない?」と病室についたばかりだというのに、私を外に連れ出しました。
叔母の告白
叔母が私を連れてきたのは近くのカフェ。
そこで叔母は「私ね、お母さんがずっと大っ嫌いだったの。だからいま少しも悲しくなくて、やっと解放されるってホッとしているのよね」と打ち明けたのです。
私は返す言葉が思い浮かばず、ただ黙って話を聞いていました。
祖母の最期の日
叔母が私をカフェに連れ出した日の晩、祖母は息を引き取りました。
叔母が私を連れ出し告白したのが、この日でなければここまで思わなかったのかもしれません。
しかし、私からしてみれば
「祖母が亡くなる最期の日に、病室にいる私を引きはがしてまで外へ連れ出さなければならなかったのか?」
「もう意識もなく会話もできない、こんなタイミングで私に伝えなければならないことだったのか?」
と疑問が残っています。
叔母が祖母を嫌っていたのは事実なのかもしれません。
ただ、それを私にあえて伝える必要があったのかは、今でも理解できていないのです。
【体験者:30代・女性自営業、回答時期:2025年4月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:Emi.A
夜の世界での接客業を経て、会社員に転身。その経験を生かして、男女の人間関係を中心にコラムを執筆。結婚と出産の際に会社員として苦労した経験を経て、働く母親世代の思いにも寄り添うべく、執筆業専門に転身。現在は、男女関係、ワーキングマザーのリアルを描くライティングを行う。