そんな父の期待に応えることが出来なかった私に対し、父は落胆の色を隠せません。
ですが成人後、私と父は意外な形で分かり合えるようになったのでした。
今回は、筆者である私自身のエピソードを紹介させて頂きますね!
勉強について行けず挫折
学歴主義者である父の期待に応えようと、気合いを入れて挑み、私は進学校に入りました。
しかし入学後、学校の勉強について行くことが出来ず、結果的に単位を落として学校を中退することになってしまいます。
そんな私に対し、父は激しく怒っていました。
「こんな所で挫折して! 全くもう! お前は自ら人生を棒に振ったんだ!」
父の期待に応えることが出来ず、私自身、深い劣等感に包まれてしまいます。
読書にのめり込む
高校中退後、通信制高校に入り直した私には、時間が有り余っていました。
そこで私は改めて読書の魅力に取り憑かれ「いつか自分も、文章を書く仕事をしたい」と切望するようになります。
そして自分なりに文章の書き方を勉強し、24歳の時にはエッセイコンテストで大賞を頂きました。
これをキッカケに、今まで私の夢を「無理に決まっている」と言っていた父も、私のことを認めてくれるようになったのです。
時の流れが解決したもの
驚いたことに、それまで私を否定してばかりだった父がその時、こう言ってくれたのです。
「大賞受賞おめでとう。俺には絶対に出来ないことだ。それがお前の才能だったんだな。今までお前を否定してばかりだったけど、それは素直にすごいと思う」
この言葉を聞いて、私はこれまでの悲しみも全て報われたと実感しました。
父なりの価値観にこれまでは悩まされていましたが、ようやく父も娘である私自身の個性を認めてくれたのです。
皆様も、特性や個性を生かし、是非、自分だけの人生に誇りを持って下さいね!
【体験者:30代・筆者、回答時期:2025年1月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:六条京子
ティネクトのエッセイコンテストで大賞を受賞したのをキッカケに、ライター活動開始。街コンや女子会に積極的に参加して、インタビュー対象を探す日々。Xでも「六条京子@Webライター(@akasinokata321)」として発信を行う。