娘には苦労をさせたくない
その反動でなのか、自分の娘には苦労をさせたくないと、家事や孫の世話、すべてを引き受けてきました。
来客があると言えばおもてなし料理を用意し、運動会の日は両家の弁当を持参。
孫の面倒まで見て、娘が少しでも楽に過ごせるようにしてきました。
娘が実家に帰れば、上げ膳据え膳。
洗濯物も取り込まず、当然のように過ごす娘。
でも伯母は (そうできることが幸せ) だと思っていたのです。
娘の「ありがとう」 の一言があれば、それだけで満たされていました。
親のありがたみを感じない娘
ところが——。
年齢を重ねた今、伯母が熱を出しても、娘は「忙しいから」 と見舞いにも来ません。
ようやく頼んだ買い物も、玄関に置いただけで帰ってしまいました。
母親に【世話をしてもらう】 のが当たり前になりすぎて、何も動こうとしないのです。
友人の多い娘は、家に友人を招くたび、伯母に料理を頼みます。
「お母さんのご飯、みんなが楽しみにしてるんだよ!」
そんな言葉を嬉しいと思っていたけれど、気づけば材料費すら出さず、当たり前のように料理を要求するようになっていました。
「少しは自分で準備してみたら?」
そう声をかけても、「お母さんの料理のほうがおいしいもの」 と取り合わない。
冗談めかして笑う娘に(またか……)とモヤモヤした気持ちを抱えるようになりました。
気づいた後悔
(子どもや孫の世話をすることが生きがいだった)
(でも、気づく前から手を出しすぎてしまっていた)
その結果、娘は【自分がやらなければならない】 という意識を持たないまま育ってしまいました。
(親の姿を見て学んでいるはず)
かつてはそう思っていたけれど、今の娘の姿を見ていると、それすらも自信がなくなっていく。
(私が動けなくなったら、この子は本当に自分の力でやっていけるのだろうか)
これから先の不安
(もっと早く、気づけばよかった)
今さら後悔しても、娘はもう変わらないのかもしれません。
(これから先、自分が動けなくなったとき、娘はどうするのだろうか)
(もしものとき、誰が助けてくれるのか)
(私が娘を育てるのも、生きている間しかできなかったのに。)
(こんな娘に育ててしまったのは自分のせいなのか……)
取り返しのつかない後悔が、胸の奥から込み上げてくるのです。
【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年2月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。