今回は筆者の知人から聞いた、自分にだけ厳しい母から逃げ続けたことを後悔しているお話をどうぞ。
過干渉な母
私は就職とともに、過干渉な母に嫌気がさして家を出ました。
母は長女である私のすべてに口を出し、何をするにも監視して厳しく当たられるように。
家にいるとどうしても自由を感じることはできませんでした。
そんな厳しく育てられた私とは対照的に、やりたいことを何でも応援されて自由に育てられていた2歳差の妹。
何だか愛情の差を感じてしまい、劣等感も抱いていました。
家出後も実家に帰ることはほとんどなく、母とは連絡を取ることさえ最小限にしていたのです。
若年性アルツハイマー
それから10年が経った頃、突然母から連絡が。
「最近何だかおかしいの」
最初は訳が分からず戸惑いましたが、のちに妹から、母が若年性アルツハイマーを患っていると聞かされました。
「お母さんが会いたがっている」
「早く帰ってきて」
妹の言葉通り、何度も母に会いに行くべきだと思ったのですが、会いたくないという気持ちも無視できず。
結局、心のなかで葛藤すること3年。ついに決心して実家に足を運んだのです。
久しぶりの再会
久しぶりに母の顔を見ると、強気で厳しかった母の面影はどこにもありませんでした。
そこにいたのは、弱々しく、記憶も徐々に失っていっている母。
「あれ、あなたはどなた?」
「娘がそろそろ来るらしいのだけど」
との言葉に呆然としてしまいました。
あんなに厳しかった母が、こんなにも変わってしまったことが信じられなかったのです……。
苦い後悔
現実を目の当たりにしてようやく『もっと親との時間を大切にすればよかった』と心の底から後悔した私。
妹によると、私が家出してから、厳しく接していたことを母はずっと後悔していたのだとか。
『強い子に育ってほしい』という想いばかり先行して、つい過干渉になってしまっていたのだそう。
それを聞いて『母ともっと話をして心を通わせていれば、今の自分の気持ちも違ったかもしれない』と深く反省しました。
時間は戻らないと分かってはいますが、これからは母との時間を大切にしようと決心した瞬間でした。
【体験者:30代・女性会社員、回答時期:2025年2月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:一瀬あい
元作家志望の専業ライター。小説を志した際に行った女性への取材と執筆活動に魅せられ、現在は女性の人生訓に繋がる記事執筆を専門にする。特に女同士の友情やトラブル、嫁姑問題に関心があり、そのジャンルを中心にltnでヒアリングと執筆を行う。