吃音
私の息子は4歳ごろから吃音(きつおん)の症状が出始め、小学校に上がるまで専門の病院で治療を受けていました。
吃音は、言葉を話す際にスムーズに発音できなくなる障がいのことで、話している最中に言葉が詰まったり、音を繰り返したり、特定の音や単語が出にくくなることが特徴です。
自然に治る傾向が多いと言われていたものの、息子の症状は重症で、一生付き合っていかなければいけないと言われるほどでした。
小学校へ上がり、療育の指導なども受けていたのですが、息子は吃音が原因でイジメに遭い、3年生の後半から不登校に。
親としてもどうしたら良いのかわからず、手探りの状態が続いていました。
進学
その後も息子の吃音の症状は続いていましたが、息子は昨年の春から中学生になりました。
イジメの首謀者たちとは別の学校へ進学することに。
クラスメートはみんな小学校からの持ち上がりだったので、少しアウェイな状態でした。
3年近く不登校状態が続いていた息子。
私はまた同じ状況になるのではないかと言いようのない不安を感じていたのです。
杞憂
しかし息子は、今までが嘘のようにすんなりと学校に溶け込むことができました。
息子曰く、吃音の症状が出ても、友達たちはありのままを受け止めてくれたそうです。
やってみたかった部活動にも参加し、「大会でベスト4に入れるように頑張る」「M先輩のように強くなりたい」「今クラスの副委員長をやっている」など、積極的な姿勢が見え始めました。
3年間学校に行けなかったことも、自分から友達に話すことができた息子。
親として、息子を信じてあげられなかったことを少し恥ずかしく感じました。
エール
1年前は不登校や吃音で悩んでいて、親として勝手に「吃音という障がいを抱えていたら、普通の人生を送るのは難しいのではないか?」と考えていました。
きっと息子よりも臆病になっていたのは私の方だったのかもしれません。
今では成長していく息子の姿を見て頑張ってほしいとエールを送っています。
【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年1月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:RIE.K
国文学科を卒業し、教員免許を取得後はOLをしていたが、自営業の父親の病気をきっかけにトラック運転手に転職。仕事柄多くの「ちょっと訳あり」な人の人生談に触れる。その後、結婚・出産・離婚。介護士として働く。さらにシングルマザーとして子供を養うために、ファーストフード店・ショットバー・弁当屋・レストラン・塾講師・コールセンターなど、さまざまなパート・アルバイトの経験あり。多彩な人生経験から、あらゆる土地、職場で経験したビックリ&おもしろエピソードが多くあり、これまでの友人や知人、さらにその知り合いなどの声を集め、コラムにする専業ライターに至る。