厳しく育てられた私と、自由に育てられた妹
私は幼い頃から厳しく躾けられ、母の意向で様々な習い事に通わされていました。
勉強面でも厳しく、テストで悪い点を取ろうものなら、容赦ない叱責が飛んできたものです。
一方、3歳下の妹は、まるで別世界に住んでいるかのよう。
習い事は本人がやりたいものだけ。私が机に向かって勉強させられている間、妹はのんびり好きな遊びをしていました。
どうして私だけ?
この違いに、私は長年疑問を抱き、母に不満を募らせていました。
「どうして妹ばかり自由にさせているの?」
「どうして私だけこんなに厳しくするの?」と。
特に思春期には、何度も母と衝突しました。
妹はいつもおっとりしていて、私と母の喧嘩をどこか他人事のように眺めていたものです。それが余計に私を苛立たせました。
亡くなった母の遺品整理
そんな母も、1年ほど前に他界。空き家になった実家を妹と私で片付けることになりました。
母が大切なものをしまっていた箪笥の引き出しを開けると、そこには1冊の古びたノートが入っていました。母の日記でした。
私が生まれたばかりの頃のページには、
「今日は〇〇(私の名前)が初めて笑った。本当に可愛い笑顔! この子の笑顔を守っていきたい」
という、あたたかな一文が……。
日記を読み進めるうちに、妹が生まれた時の記述も見つけました。
そこにはなんと、妹が先天性の心臓疾患を持って生まれたこと、医師から「激しい運動は避け、なるべくストレスを与えないように」と告げられたことが書かれていたのです。
母の真意を知って……
「〇〇(妹の名前)には、自由に楽しく生きてほしい。この子の短いかもしれない人生を、精一杯輝かせてあげたい」
母の切実な願いが、ひしひしと伝わってきました。
一方、私のことは「〇〇(私の名前)、妹のことをいつも気にかけてくれてありがとう。あなたはきっとどんな困難にも立ち向かえる強い女性になる。だから私はあなたを信じて、厳しくても必要なことを教えていきたい」と書かれていました。
私は愛されていないわけではありませんでした。母は、私たち姉妹の個性を尊重し、それぞれの幸せを願ってくれていたのです。
もちろん、今でも「平等にしてほしかった」という思いが全くないわけではありませんが、日記からは、母なりに精一杯子育てしていたことが伝わってきて、やっと母を許すことができた気がします。
【体験者:40代・女性会社員、回答時期:2024年11月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:藍沢ゆきの
元OL。出産を機に、育休取得の難しさやワーキングマザーの生き辛さに疑問を持ち、問題提起したいとライターに転身。以来恋愛や人間関係に関するコラムをこれまでに1000本以上執筆するフリーライター。日々フィールドワークやリモートインタビューで女性の人生に関する喜怒哀楽を取材。記事にしている。