最近では少なくなりつつありますが、家族の中で親が長男ばかりを大事に育てる、長男信仰がまだ残っている家庭もあるといいます。今回は長男である兄と差をつけて育てられた経験のある筆者の知人、Rさんに聞いたお話です。

久しぶりに帰省すると

「ただいまー」
ある日、親戚の法事で1年ぶりに実家へ帰省したRさん。

「おかえり、久しぶりね」と上機嫌な母。仕事から戻った兄も加わり、久しぶりに3人での夕食が始まりました。

テーブルに並ぶ懐かしい母の味。Rさんが温かい気持ちに浸りかけた、その時です。母がいきなり冷凍庫をガサゴソと探り始め、カチカチに凍った「冷凍ご飯」の塊をRさんの前に置きました。

「はい、あんたコレでいいでしょ。自分でチンしてあっためて」

(ご飯を炊き忘れちゃったのかな?)
そう思ったRさんでしたが、直後の光景に言葉を失いました。母はそのまま炊飯器へ向かうと、湯気が立ちのぼる真っ白な「炊きたてご飯」を兄の茶碗にふっくらとよそったのです。

「おかわりもあるから、たくさん食べなさいね」

兄に注がれる慈愛に満ちた声と、自分の前に置かれた氷のような塊。
子供の頃に感じていた「私はのけ者」という感覚は、気のせいでも、成長期の差でもなかった。母にとっての優先順位は、何年経っても1ミリも変わっていなかったのです。

この日を境に、Rさんは母と距離を置くことを決めました。
「長男だから」という古い価値観があるのかもしれません。母なりの言い分もあるのかもしれません。けれど、同じように慈しみ育てられるべき我が子に、これほど残酷な差をつける理由はどこにもありません。

血が繋がっているからといって、自分を傷つける相手に歩み寄り続ける必要はない――。
凍ったご飯が教えてくれたのは、皮肉にも「自分自身を大切にするための決別」でした。

【体験者:30代・女性会社員、回答時期:2024年10月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:齋藤緑子
大学卒業後に同人作家や接客業、医療事務などさまざまな職業を経験。多くの人と出会う中で、なぜか面白い話が集まってくるため、それを活かすべくライターに転向。現代社会を生きる女性たちの悩みに寄り添う記事を執筆。