筆者は小学生時代、母の意向でバレーボールクラブに在籍していました。
他のチームメイト達と上手くコミュニケーションが取れない私は、母に「バレーボールを辞めたい」と訴えますが、母は絶対に許しません。
そして私が大人になった時、このやり取りが思わぬ形で話題に上がるのでした。
今回は、そんな私の体験談を紹介しますね!

バレーボールが大好きな母

私の母は高身長ということもあって、学生時代はバレー部で大活躍していました。
「大好きなバレーを娘にもやらせたい」と思った母は、私をバレーボールクラブに通わせますが、残念ながら私には母のようなバレーボールのセンスが全くなかったのです。
最初の内こそ「母みたいに上手くなりたい!」と熱意を抱いていた私ですが、現実はそんなに甘くなかったのでした。

「ちっとも上手くならないし、皆からも迷惑がられてるから、バレーボールを辞めたい!」と私は訴えますが、母は聞く耳持ちません。
「ダメ! あんたも一度はバレーボールをやると決めたんだから、最後までやり通しなさい!」
母はそう言って、泣いて嫌がる私を無理やりバレーボールクラブに通わせるのでした。

母の愚痴

そして月日が経ち、気が付けば私も成人女性となりました。
子育てがひと段落した母は、こんなことをよく私に相談するようになっていました。
「もうお父さんにはウンザリ。なんであんな人と結婚しちゃったんだろう? 離婚したい! でも、実家のおじいちゃんとおばあちゃんは、お前が決めた結婚だろって私に言うのよ? 酷くない?」

母自身の両親である祖父母の愚痴をこぼす母に、私はつい本音を漏らします。
「でも、お母さんもよく言っていたじゃないの。バレーボールはあんたがやりたいと言ったんだから、最後までやり通しなさいって」
その言葉を告げた途端、母はまるで雷に打たれたかのように衝撃を受けた表情をしました。

逃げることは悪いことじゃない

「そっか……。そうよね。あんたも辛いって言っていたのに、私はそれを無理強いさせちゃった。そっか、あんたもこんなに辛かったんだ」
母はそこで初めて「辛ければ、逃げることもまた必要」と悟ったようで、過去のことに対し、私に謝罪を始めました。

確かに何かを最後までやり通すことは立派です。
それでも本当に自分が辛いと感じたのなら、また別の道を探すこともまた生きる上で大切なことではないでしょうか?
周囲と自分を責めることなく、母にもまた自分に合った道を選んで欲しいと感じたエピソードなのでした。

【体験者:30代・主婦、回答時期:2024年10月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:六条京子
ティネクトのエッセイコンテストで大賞を受賞したのをキッカケに、ライター活動開始。街コンや女子会に積極的に参加して、インタビュー対象を探す日々。Xでも「六条京子@Webライター(@akasinokata321)」として発信を行う。