子どもの反抗期に、頭を悩ませるお母さんも多いことでしょう。でも親への反抗は、実は自立心の表れ。つい干渉したくなるのを堪えて、時には我が子に失敗をさせることだって、親の愛情の1つかも。今回は、筆者の友人M子親子に起きたエピソードをご紹介します。

過干渉な母

M子(30代)の母、I美(50代)は愛情が深すぎるあまり、娘が幼いころから、やることなすことに口を出し、行動を制限していました。はたから見ると、あきらかな過干渉であったものの、M子は母親のことが大好きだったため、素直にI美の言葉に従っていて、反抗期もなかったそうです。

人生で初めて反抗するも、、、

そんなM子も大学生になり、CAになるという夢ができました。
誰に何と言われても、絶対に叶えたい。彼女にとって、初めての感情が芽生えたのです。
語学スキルアップのために留学を望んだM子は、アルバイトを始めたいことを内心ドキドキしながら、I美に相談します。
これを聞いたI美は猛反対。「留学なんて、危険すぎるわ! CAになって、ハイジャックにでもあったらどうするの!」と、物凄い剣幕でまくしたてます。
少しも自分の気持ちを分かろうとしてくれない母。絶望したM子は「もう大人なんだから、自分のことは自分で決めたい」と泣きながら訴えました。それは、M子の人生で初めての、母への反抗でした。

自分の言うことをきかない娘に腹を立てたI美は「あなたのためを思っているのよ! ママの言うことが聞けないなら、親子の縁を切るわ!」と、ヒステリーを起こしてしまいます。

大好きな母との縁が切れるなんて耐えられない。反抗した私が悪かったんだ。
長年、母の言いなりだったM子はそう思ってしまいました。
夢をあきらめた彼女は、卒業後、母に紹介された会社で働くことになります。

重度のうつ病

入社式の朝、スーツを着て家を出ようとしたM子。
「あれ?」身体がおかしい。足が一歩も動かないのです。とめどなく溢れる涙を流しながら、M子はその場にへたりこんでしまいました。
次の日も、その次の日も、出社することができなかったM子は、I美に病院へ連れて行かれ、医師から重度のうつ病だと診断を受けました。
糸が切れたかのように、何もできなくなったM子は「自分の人生なのに、何一つ自分で決められない、もう何も考えられないし、動けない。」と毎日むせび泣きました。
そんな娘を見て、I美はようやく自分の過ちに気づきます。娘が可愛くて、心配なだけだったのに。私がこんなに追い詰めてしまったんだ……。

踏み出した一歩

あれから10年以上経ちますが、M子は今も闘病中で、精神薬が手放せません。ですが、最近アルバイトを始め、一人で暮らすようになったことは、大きな進歩だと言えるでしょう。昔のI美なら、M子を実家から出すことなんて考えられませんでしたが、今は娘の自立心を尊重し、サポートしているそうです。

娘のことを思う気持ちもわかりますし、母の愛は海よりも深し、と言いますが、その愛情に溺れ、息ができなくなってしまったM子。彼女が再び、夢中になれる目標を見つけられる日が訪れますように。

【体験者:30代・女性フリーター、回答時期:2024年4月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:大城サラ
イベント・集客・運営コンサル、ライター事業のフリーランスとして活動後、事業会社を設立。現在も会社経営者兼ライターとして活動中。事業を起こし、経営に取り組む経験から女性リーダーの悩みに寄り添ったり、恋愛や結婚に悩める多くの女性の相談に乗ってきたため、読者が前向きになれるような記事を届けることがモットー。