不登校
私の息子は小学校3年生から6年生までの3年半の間、イジメが原因で不登校になってしまいました。
フリースクールなどを利用してはいましたが、学校へ行けることはなく、中学進学を前に「中学校にも行けないだろう。」と勝手に思い込んでいました。
しかし、息子は一念発起し、学区外の中学校へ行くことを決意!
教育委員会や学校側とも相談し、学区外の中学校への入学手続きを進めることにしたのです。
私と夫は、不登校期間中の様子を見ていたので、「すぐに行けなくなるかも。」と不安を抱えていて、制服の採寸や学校説明会などもあまり乗り気ではありませんでした。
変化
4月になると、私たちの思いとは裏腹に、息子は楽しそうに中学へ通うことができるようになりました。
今では仲の良い友達もできて、部活まで頑張っています。
「学校は友達がいるから楽しい。」と家で生き生きと話す息子を、信じられない気持ちで見ていました。
夏休み中に、フリースクールでお世話になった先生から連絡があったため、一学期の状況を報告。
すると「お母さんがきちんと息子さんと向き合ってきた結果ですよ。」と褒めてくれたのですが、私は何となくモヤモヤした気持ちをぬぐい切れずにいたのです。
悩みぬいた3年半の後遺症
私は、息子が不登校になった3年半、母親としての対応に悩み続け、後悔したり落ち込んだりしていました。
いろいろな機関に相談したり、スクールカウンセラーのお世話になったりしましたが、結局不登校は改善しなかったので、私の育て方がいけなかったのかと悩みぬいていたのです。
未だに何が正しかったのか、何がいけなかったのかも分からず、息子の急な変化についていけてすらいません。
これは不登校の3年半の後遺症なのでしょうか……?
親として今何をするべきなのかわかっていないのですが、ともかく学校へ行けるようになったことは前向きなこと。
息子が頑張れるように、しっかりと支えていかなくてはと思っています。
【体験者:50代・筆者、回答時期:2024年9月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:RIE.K
国文学科を卒業し、教員免許を取得後はOLをしていたが、自営業の父親の病気をきっかけにトラック運転手に転職。仕事柄多くの「ちょっと訳あり」な人の人生談に触れる。その後、結婚・出産・離婚。介護士として働く。さらにシングルマザーとして子供を養うために、ファーストフード店・ショットバー・弁当屋・レストラン・塾講師・コールセンターなど、さまざまなパート・アルバイトの経験あり。多彩な人生経験から、あらゆる土地、職場で経験したビックリ&おもしろエピソードが多くあり、これまでの友人や知人、さらにその知り合いなどの声を集め、コラムにする専業ライターに至る。