「おばあちゃんが末期がんで入院したよ!」
祖母に会わなくなってから数年後、祖母が末期がんで入院したと報せを受けた私。
入院先にお見舞いに行くと、あの怖かった祖母はやせ細っていて、当時のきつい印象はどこにもありません。それどころか、私が見舞いに来たことを満面の笑みで喜び、幼い子どもと話すかのように「ここに座りんちゃい。」「お菓子食べる?」と優しく接してきたのです。
祖母に言われるがまま椅子に腰を掛け、祖母が携帯を取り出した様子をなんとなく横目で見て、私は後悔することになりました。
祖母の携帯の待ち受け
祖母が開いた携帯の待ち受け画面は、高校生のころの私の写真でした。
高校生というと、ちょうど祖母を避け始めるようになった直前の時期で、祖母は最後に撮った私の写真を何年も何年も待ち受けにしていたそうです。
祖母はずっと私に会いたかったんだ、大切に思ってくれていたんだと、祖母を避けていた自分が恥ずかしくなりました。
最期のとき
そもそも私が祖母を苦手になったのは、母への酷い態度です。
口調がきつかったり、言葉遣いが悪かったりしたのは、ある意味祖母の性格であり、嫌いになるほどの理由ではなかったんだと思います。
その待ち受け画面を見たときから「母と祖母の関係は2人の問題であり、私と祖母の関係とは別。」と考え直し、祖母と向き合い直すことを決意しました。
それから祖母が亡くなるまでの3か月、なるべく入院先に顔を出すようにして祖母との時間を作りました。
祖母は亡くなる前、自分がどこにいるのかわからなくなったり、息子(私の父)の顔が一瞬わからなくなったりしましたが、そんな状態になっても私のことがわからなくなることは一度もありませんでした。
祖母ときちんと向き合うことをせず、勝手に避けてきましたが、今回のことで生きているうちにしか何かを伝えたり大切にしたりすることはできないと痛感。
祖母を避けて過ごした数年は戻ってきませんが、今後の自分の人生を見つめ直す機会となりました。
【体験者:30代・女性自営業、回答時期:2024年9月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:Emi.A
夜の世界での接客業を経て、会社員に転身。その経験を生かして、男女の人間関係を中心にコラムを執筆。結婚と出産の際に会社員として苦労した経験を経て、働く母親世代の思いにも寄り添うべく、執筆業専門に転身。現在は、男女関係、ワーキングマザーのリアルを描くライティングを行う。