家族や友人など、親しい人とのお別れは悲しくつらいものです。今回はそんな悲しい報せを受けた筆者の知人が、葬儀へ向かったときのエピソードをご紹介します。もちろんお別れは寂しいことですが、そんななかでも喜ばしくなるような、胸が熱くなるエピソードに、つい涙してしまいました。

友人の訃報

その日私は、学生時代からの友人が突然病気で亡くなったとの報せを受けました。

亡くなった友人は誰にでも平等に接し、愛嬌がありコミュニケーション能力も高く、先輩からも後輩からも、もちろん同学年からも年齢に関係なく愛される素敵な人。

そんな友人が20代という若さでこの世を去ったという報せは、あまりにもショッキングなものでした。

私は友人と最期のお別れをするため、翌日おこなわれるお通夜に参列することにしました。

まさかの渋滞

お通夜当日の夕方、間に合うように早めに家を出て葬儀場へと向かいます。葬儀場は自宅から車で15分程度の場所だったので、30分前には自宅を出発したのですが、葬儀場に近づくにつれ車が多くなってきました。

いつもならそんなに混まない道路なのですが、この日に限って大渋滞。ついにお通夜が始まる時間を過ぎてしまいました。

お通夜が始まって10分ほど経ったころ、ようやく葬儀場へ到着したのですが、葬儀場の駐車場は満車…。

近くのコインパーキングも満車ばかりで、運よく空車になったコインパーキングにようやく車を停められました。

葬儀場へ到着

車を停めて走って葬儀場へと向かうと、私はまさかの光景を目の当たりにすることになります。

葬儀場の外まで人がごった返しで、その人ごみの先に長蛇の列がありました。なんとその人々はみんな、私の友人のお通夜に参列しにきた人たちだったのです!

私がこれまでに参列したことのあるお通夜では、椅子に座りお坊さんのお経を聞き焼香させてもらう形式ばかりでした。

しかし、今回の友人のお通夜は異例中の異例。あまりの参列者の多さに、椅子には親族のみが着席していて、友人や仕事関係の方はお顔を見せていただいて次々に進んでいく形式です。

葬儀場の外でごった返しになっていた人たちは、友人のお顔を見てお別れをしたものの、この場をすぐに離れられず最期のお別れを惜しむ人たちだったのです。

友人の訃報は悲しいものだったことは間違いないのですが、とても愛されて人生を全うしたんだなと思うと嬉しくて、そんな人と友人関係でいられたことを誇らしく感じました。

後日談

葬儀が終わってしばらく経って、友人のお母さんと話す機会がありました。そのとき聞いたことなのですが、友人のお通夜にはなんと800人もの人々が参列したそうです。

【体験者:20代・女性会社員、回答時期:2024年9月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:Emi.A
夜の世界での接客業を経て、会社員に転身。その経験を生かして、男女の人間関係を中心にコラムを執筆。結婚と出産の際に会社員として苦労した経験を経て、働く母親世代の思いにも寄り添うべく、執筆業専門に転身。現在は、男女関係、ワーキングマザーのリアルを描くライティングを行う。