今もなお、苦しむ人も多い<嫁・姑問題>。
意地悪な姑だけにとどまらず、義実家総出でひどい扱いをされるケースがあるようです。
今回は、そんなひどい義実家と揉めに揉めた、筆者の知人から話を聞きました。

地方の企業で《男女差別》に耐えつつ仕事していた

私は、事務員として地元のとある会社に勤めていました。

仕事場は、男性9割・女性1割と男性が多い職場でした。

家族経営の小規模企業だったこともあるのか、《男女平等》が当たり前になった今でも、昭和ノリや男女差別を受けることもありました。

それでも、仕事はやりがいがあり、同僚女性はみな素敵な人ばかり。

そのため、辞める決心がつかないまま働き続けていました。

素敵な男性と出会い、結婚することに

入社3年目を迎えたころ、とある男性が入社していきました。

そう、彼こそ、のちの私の旦那。

別の大手企業に勤めていたようですが、ソリが合わずに退職。
コネ入社してきたのです。

というのも、実はこの会社の社長の1人息子!

社長も夫人もかなり厳しい方々だったので、どんな人なのかと不安に感じていた私。

しかし、予想とは異なる明るく朗らかな人柄に、いつしか惹かれていました。

そのうち彼からもアプローチを受けて、交際に発展。

彼や社長夫妻の強い希望もあり、交際から半年でスピード婚したのです。

しかし、これが大きな間違いでした……。

夫からも義両親からもひどい扱いを受けるように!

結婚と同時に、半ば強制的に会社を退職し、義実家での同居を強いられた私。

それだけならまだよかったのですが、結婚を機に義両親は態度を一変!

交際時はとても優しかったのに、結婚した途端に、厳しくなったのです。

「〇〇家の者という自覚を持て!」
「△△(夫の名前)が絶対だから従え!」

まるで<嫁=自分たちの思い通りに動くモノ>と思っている様子の義家族。

夫も一緒になって、あまりにも酷い態度をとるようになったのです。

《朝は誰よりも早く起きて、夜はみんなが寝るまで寝てはいけない》
《常に夫や義父に従い、姑を見習って生活する》

嫁=労働力として扱う、時代錯誤のような毎日に、どんどん心がすり減っていきました。

言い返そうとすると夫からも義両親からも責められ、孤立無援状態。

3か月で我慢の限界がきた私は、とうとう家出を決意したのです!