絶望のフレンチディナー
食前酒を飲みながら談笑していると、前菜が運ばれてきました。
私が外側のナイフとフォークを手に取り、慎重に一口サイズに切り分けていると
「クチャ、クチャ」
(ん、なんか変な音がする? こ、これはまさか……)
恐る恐るA太の方を見ると、彼が音を立てながらテリーヌを咀嚼していました。
そう、彼は「クチャラー(クチャクチャという音を立てながらものを食べる人)」だったのです。
ショックで涙が出そうなのを堪えて、A太に注意する私。
「A太くん、嫌な思いをする人も多いから、音を立ててご飯を食べる癖は直した方がいいよ」
これでおとなしく直してくれればまだよかったのですが、A太は反論してきました。
「え? 今まで誰にも言われたことないよ! 気にしすぎじゃない?」
口元を隠すでもなく、大きな声で話すA太。
口の中の食べ物が丸見えです。
「口にモノが入った状態で喋るのもよくないよ。せめて口元を手で覆ってから話した方がいいよ」
私がさらに注意すると、A太は不満そうにこう言いました。
「J子ちゃんって、けっこう細かいんだね」
(この人とはダメかもしれない。)
そんな絶望を感じながら料理を口に運んでいると、水の入った「フィンガーボール」が運ばれてきました。
それを見てA太は「気が利くね。ちょうど水が飲みたいと思っていたんだ」とその水を一気に飲み干したのです。
もはや放心状態の私は、棒読みでA太に言いました。
「それはフィンガーボールって言って、指を洗うための水だから、飲んじゃだめなんだよ」
それでもA太は反論してきました。
「いやいや、俺いつもこれ飲んでるし!」
今まで教えてくれる人がいなかったのか、A太が間違いを認めたくない性格だったのか。
残念ながら、私がA太と会うのはこれが最後になってしまったため、もう知るよしもありません。
良いところもたくさんある人だったので、私はただ、彼の幸せを願うばかりです。
最後に
食事の食べ方やマナーなどは、周りを見るなり勉強するなりして身につけることが可能です。
もし、知らなかったとしても、教えてくれる人の意見に耳を傾ける姿勢があればよかったのですが……。直そうとする姿勢があるのとないのでは、結果が違ってくると思いますよ。
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:Hinano.N