続・駆け込み寺の女たち【結婚相手のシモの世話】
駆け込み寺の女たち。これは海外でいわゆる夫からの暴力を逃れてかくまわれ、「駆け込み寺」で暮らしていたときの話です。駆け込み寺では、実にさまざまな女性と子供たちが生活をしていました。
パキスタンから来た女性が、当時ふたり住んでいました。同じアジア系という繋がりがあるのか、彼女たちは私にも親切でした。その中のひとり、Zは、ほりの浅い東アジア系の顔立ちをしており、とくに親近感がありました。
20代前半のZは、親の決めた相手との結婚のためにヨーロッパへとやってきました。アジアの一部や中東の国では「欧米暮らしの男」はとくに人気があるのだといいます。
ヨーロッパ暮らしの中年男性は、お金のあるイメージや成功しているイメージが強く、それゆえに娘の結婚相手にふさわしいと考えてしまう親が多いのだとか。そんなZの結婚相手の男性は、車椅子に乗る60代の男性でした。
結婚のために渡欧したZが知った結婚の真実は、自分が”シモの世話”のために選ばれたという現実でした。顔もよく知らずに嫁いだので愛情もないうえ、子供を作ることを望めない結婚相手でした。
結婚に絶望したZが、最後に辿り着いた先が駆け込み寺だったのです。
続・駆け込み寺の女たち【悲しみの蝶々夫人】
いつも物静かと言うか、常に浮かない顔で悲しみを湛えているようなイラン女性がいました。
「私の名前は、国の言葉で”ちょうちょ”の意味なのよ」と教えてくれたので、私は彼女を心の中で”蝶々夫人”と呼んでいました。はかなげで美しい彼女の雰囲気にぴったりだったのです。
彼女は旦那さんとふたりでアパート暮らし。普通に幸せな毎日だったといいます。ところがある日家に帰ると、夫が女性と一緒にシャワーを浴びている現場に遭遇。夫の浮気相手は同じアパートの住人の女性で、蝶々夫人は頭の中が真っ白になってしまいます。
その後に発覚したことは、夫は性欲が強いのか浮気癖が強いのか、ほかにも身体の関係を持っている女性たちが同じアパート内に3人もいたのだとか。
蝶々夫人は行く当てもなく家を出て、今は駆け込み寺で生活していると語ってくれました。全身からあふれるようなその悲しみが、蝶々夫人の旦那さんに対する愛情にも思え、彼女をさらに美しく見せているような気さえしました。
続・駆け込み寺の女たち【夫と息子たちの対立】
駆け込み寺にいるのは、基本的に女性と18歳以下の子供のみです。施設には17歳の娘とふたり暮らしのイラク出身のお母さんがいました。
駆け込み寺はキッチンが共同で基本的に自炊なのですが、肝っ玉母さんがいると、ご飯を分けてくれたり、私のつくる日本食に興味を示したりしていました。炊飯器にダメ出しをし、「ご飯は鍋で炊くのが一番よ!」とよく叱られました。
肝っ玉母さんが一緒に暮らしている娘は、一番末の子どものようでした。母子は夫(娘父)からの暴力と、ふたりの息子(娘兄たち)からの2重の暴力によって、駆け込み寺に避難をしていました。
ときどき裁判のために1日部屋を空けることがあり、夕方遅く帰ってくるといつも、すっかり消耗し切っていました。
肝っ玉母さんの消耗の原因は、暴力の加害者が自分の夫と、自分の生んだ息子たちと言うところにありました。
「夫の方はまだいい。できれば国外追放になってくれたら。でも私の息子たちは?どんなに私や娘に酷い行為を働いたとしても、私の生んだ大切な息子なの。もし国外追放になってしまったら、国は内戦中でもう戻れない。私には、息子たちを留まらせることも追放することも選べず、本当に悲しい」
暴力の被害者でもあり、加害者の母でもある肝っ玉母さん。言葉の問題もあり、裁判では未成年の娘が、1日証言台に立たなければいけないことも辛いと泣きます。
憎い相手を心から憎むことができれば、それだけで救われることもあるのかも知れません。
駆け込み寺の友情
駆け込み寺にいる女性たちは、皆それぞれの悲しみを背負っています。それでも、ただ毎日悲しく泣いて暮らしているわけではありません。基本的には明るく、食事どきは自分たちで作ったご飯を持ち寄り、わいわいと楽しくパーティのように過ごすこともあります。
イスラム教徒が多いということもあり、断食もあればイードのお祝いもありました。イードのときは入居者全員で大きなテーブルを囲んで夕食会をして、子供たちはそれぞれ職員からプレゼントまでもらいました。
駆け込み寺では掃除は当番制。自分たちの部屋は自分で掃除しますが、キッチンやバスルーム、廊下などの共有エリアはおおよそ2週間に1度掃除当番が回ってきます。この掃除当番が大変。一般住宅に比べると当然広いうえに、小さな子供たちが常に汚して回るので、終わりがみえないのです。
それでもみな優しく、悲しいことがあった日などには率先して「掃除変わってあげるから休みなさいよ!」と声を掛けてくれます。
入居中に出産をした子もいました。病院から帰ってきた母子をみんなで迎えて、小さな赤ちゃんを囲んだ時間は幸せだったと思います。
中でも私が一番親しくしていたのは、イラク出身のNでした。Nは4人の子供を持つお母さん。私はみんなよりも一足早く「駆け込み寺」を退去しました。ほかに住む場所が見つかったからです。Nとの交流は今でも続いていて、彼女は保育士の資格を取ってがんばっています。
法や立場を利用する人、生活困窮者、DV被害者。駆け込み寺にはいろいろな境遇の女たちが住んでいます。海外の駆け込み寺にはたくさんの女たちのドラマがありました。ちょっと悲しい思い出とともに、彼女たちの明るい笑顔もまた、私の記憶に残っています。
ftnコラムニスト:叶かなえ