【ユナイテッドアローズ】流の接客を知ったことがショップスタッフを志したきっかけ
中高時代、ZipperやFRUiTSといったストリート系ファッション誌に夢中になったのをきっかけに洋服に目覚めたという栗本さん。繊維業が盛んな岐阜県出身で、地元のファッションを学べる短大に進学します。
「ファッションデザイン専攻で基本的な造形からデザインまで学びましたが、私はデザイナーには向いていない、と感じました。ただ、お洋服は好きで、短大時代も洋服に対する憧れはますます増していたんです。でも19歳や20歳って遊びたい欲がすごくある年齢。就活はどうしよっかなみたいな感じで、全然真剣に考えてなかったんですね」
そろそろ就活をしなければいけない時期に差し掛かった時、偶然「ユナイテッドアローズ 心に響くサービス」という書籍を読んだことが栗本さんの転機に。
「【ユナイテッドアローズ】のセレクトはかっこいいと思っていたのが、その本を手に取ったきっかけ。本を通して【ユナイテッドアローズ】はただ洋服を売るのではなく、その先にあるお客様の人生も一緒に考えて接客しているのが伝わってきました。読むまではショップスタッフは大変なイメージばかり先行していましたが、とてもやりがいがあると感じましたし、具体的な仕事内容がわかってショップスタッフ志望に。アパレル企業は何社か受けましたが、本命はユナイテッドアローズ社でした」
販売の難しさに驚くも、接客ノートをつけ始め、前向きに仕事に取り組めるように
新卒で入社し、配属されたのは【グリーンレーベル リラクシング】。
「正直に言いますと、入社時【ユナイテッドアローズ】や【ビューティー&ユース】に比べると、【グリーンレーベル リラクシング】のこと、よく知らなかったんですよね。当時は今よりもベーシックなアイテムが多くて、20歳の私からするとちょっと落ち着いた印象がありました」
実家から通える名古屋の店舗に配属され、ショップスタッフとして働き始めて衝撃を受けます。「接客や販売ってこんなに難しいんだ」と。
「先輩たちはお客様にとって必要かを判断軸に接客をされていましたが、当時は精神的に幼くてお客様の喜びまでは思い至らず、私が可愛いと思うものを勧める自分軸でした。成長するためには先輩に自ら聞く自主性が必要なのに、自分がしたいことすらわからなくて、入社半年ぐらいはモヤモヤしていました。この仕事を続けられるんだろうか、って」
栗本さんを奮い立たせてくれたのは、同じ店舗にいた優秀な同期。負けたくないと彼女の背中を追いかけ、がむしゃらにがんばる時期に突入します。そこで始めたのが接客ノート。
「どういうお客様層で、どういう目的で買われたのか、とお客様の情報をお買い上げいただいたレシートとともにまとめていました。リピートのお客様だと何回目のご来店で、この商品を勧めたらこういう反応をされて、こんなDMをお送りした、など詳細に記録していました。接客ノートに書くためにはお客様に興味関心を持ち、ご要望をしっかりヒアリングすることが大切です。この頃はお店のVMD(編注:商品を魅力的にディスプレイすること)を手伝わせてもらっていて、VMDもお客様のことを知らないとできない。これもお客様にしっかり向き合わないと、と思わせてくれたきっかけですね。お客様と積極的に会話をして、ようやくショップスタッフの楽しさややりがいを感じられるようになり始めました」
この頃には【グリーンレーベル リラクシング】への愛着も強くなっていました。
「【グリーンレーベル リラクシング】の強みは親身な接客ですし、お客様との距離が本当に近い。商品も気張らず日常的に着やすく、お客様のことを考え抜いた商品がたくさんある。ずっとここでショップスタッフをしたいと強く思うようになっていましたし、レーベルの認知度も高まっていた時期だったので一緒に成長したくもありたかったです」
24歳にして店長に抜擢! プレイングマネージャーとして充実していた頃
入社から4年目、静岡パルシェ店の店長に選ばれます。弱冠24歳。かなり若くしての店長起用でした。
「店長を志望したわけではなかったのですが、断れないタイプで(笑)。転勤になるので少し悩みましたけど、成長に繋がるのであれば、と」
24歳でマネジメントをする立場となると苦労があっただろうと思いきや、栗本さんは「スポーツチームのリーダーみたいな感覚だった」と振り返ります。
「ウィメンズだけのこじんまりしたお店で、メンバーは5人ほど。しかも私より先輩がいない環境でした。マネジメントもしていましたが、それに専念するのではなく、若手を育成しながら私も店頭に立つプレイングマネージャー。丁寧に仕事をすれば結果が出たので、店長未経験でも非常に運営しやすいお店でした」
マネジメント経験不足から自由が丘店の店長を自ら辞めることに
10カ月、静岡パルシェ店店長を経験したあと、大きなターニングポイントが訪れます。それは新たにオープンする【グリーンレーベル リラクシング】初の路面店であり、旗艦店でもある自由が丘店への店長に抜擢されたこと。この時のプレシャーはとんでもないものだったそう。
「自由が丘店は二階建てでメンズもありますし、メンバーも10人以上いて、それぞれが様々な店舗で経験を積んできた販売のエキスパートばかり。しかもみんなの気合が入っている。絶対失敗できないプロジェクトでした」
非常に個性豊かなスタッフが揃ったうえ、お店としての前例がなく、参考がない状態でオープンを迎えます。
「旗艦店なので取材などのイレギュラーな対応に追われることも多く、何よりも私のマネジメント経験がないに等しい状態でしたから。スタッフそれぞれの価値観がある中で、まとめ上げていくことができなくて、すごく苦しくなってしまいました」
経験不足から、自ら店長を辞める大きな決断をします。
「もうそれしか考えられないぐらい、いっぱいいっぱいで。販売員になってしばらくは自由が丘店で働いていましたが、失敗した店長という意識がすごく強かったので、その気持ちを隠してスタッフたちと当たり障りなくやっていくのがしんどかったんですね。
でもいち販売員として改めて店頭に立ったことで、自分が接客において大事にしたい部分がよく見えてきましたし、自分の意思がないとマネジメントはできない気づきも得ました。仕事観が変わったできごとでしたね」
自由が丘店のあと、渋谷マークシティ店(現在は閉店)へ異動し、約2年後の2021年2月に再び自由が丘店へリーダーとして戻り、2023年4月から自由が丘店の店長に復帰します。
「自由が丘店は地域密着で、お客様と近い距離でゆったり接することができる環境がすごく魅力。やっぱり自由が丘店に戻りたいって考えていたので嬉しかったです」
次回は「STAFF OF THE YEAR 2024」への出場動機や、DXへの取り組みなどをうかがいます。
Photograph:川本史織
Senior Writer:津島千佳